京都北山 ハイクの大原三山 ’15.5.8 晴

 大原-焼杉山-翠黛山-金毘羅山-江文神社-戸寺

 これまでの古知谷からでなく、やや短いルートの大原からの三山縦走とした。もっとも花はこの時期まったくの端境期となってしまい、咲いている花はほとんどなく極めて寂しいハイクとなってしまった。やっぱりこの山塊はヒカゲツツジの咲く4月中旬が狙い目だが、日程が合わなかったのが悔やまれた。

 取りつきにはモチツツジが満開だったが、その後のこの日は二度と目にすることはなかった。それでもかろうじてニガナとキバナツクバネウツギも咲いてくれ慰めてくれた。これらを見た時には、やっ、これは幸先よいスタートだと心奮わせたのだが、結果として、この後には山中でヤマツツジのみしか咲いていなかったのだ。

       
モチツツジ  ヤマツツジ  ニガナ   キバナツクバネウツギ

 それにしても、このコースは極めて足にやさしい道で、いたって歩きやすく、まさにハイキングでものたりない一日であった。途中にはKBS京都などのTV共同アンテンがあり、その地の前後を過ぎてふと側の木にコブがついているのが目にはいった。

 
松の木のコブ

 さて、杉や松の枝や幹のコブは伝染病の一種のようだ。それらについてちょっぴりふれてみよう。ものの解説書によれば、松の木のコブは菌類による伝染病で、この病原菌は松だけでは増殖できずコナラ、クヌギなど、ナラ、カシ類を中間宿主として相互に往復しながら生活するといわれている。五月頃松のコブの皮が破れて黄色い粉を吹き出す。これが松コブ病菌の胞子で空気伝染でナラ類の葉に感染し、九月にはナラ類の葉の上の胞子が松の若い枝や茎に伝染する。感染した松の若い幹は翌年の夏から膨らんでコブを作り、その後松が生き続ける間はコブも一緒に成長するという図式である。いずれにしても菌類などによるコブは病原体の出すホルモンによって感染した組織の細胞に異常肥大が重なってできるものであると考えられているようだ。

 さらに登って一汗すれば樹林の中のP581の偽ピークで一本立てよう。そしてこれより小さなアップダウンをやって進めば古知谷からの道に合すると焼杉山の頂は5分の近さであった。もっとも山頂直下はやや急坂の岩交じりがあって、初級者がここを雨降り時の下りに取ると要注意箇所となることも知っておこう。

 しかし、今回の三山頂上はなぜか、いずれも眺望なしであることも承知しておこう。また、「大原の里10名山」の看板があるが、焼杉山という山の謂れは出てこない。ちなみにこの大原の里10名山は「水井山 791m, 大尾山 681m, 瓢箪崩山 532m, 金毘羅山 573m, 翠黛山 577m. 焼杉山 718m, 天ヶ岳 788m, ナッチョ(天ヶ森) 813m, 皆子山 972m, 峰床山 970m」らしいが、すべての頂は踏んでいる。

 

 山頂そばでは昨年大当たりだったシャクナゲの株が少しあったのだが、今年は裏年となって寂しい。なんとか一輪が咲きおさめの花を印だけ見せてくれた。この焼杉山は718mで3等三角点にタッチしてすぐに辞そう。

 この後は西への道をひろって南へ下ろう。途中ではヤマツツジが満開でこの種のみ、そこそこあちこちで咲いてくれ心なぐさめてくれた。そして道沿いには若いイヌブナが特徴である株別れして立っており、枝の葉も低かったので観察としよう。新葉はもちろん、葉裏は特に毛深いのが肉眼でもよく分かる。なお、この葉は落葉となっても毛がついたそのままである。でも本ブナはこの低山では見当たらず比較の写真のないのが残念だ。

     
 葉裏  イヌブナ  葉表

 寂光院への下山道分岐から鞍部に出た。ここは焼杉山から大原へ、また天ケ岳に、そして翠黛山などへの四差路である。指導標が賑やかに立っている。もちろん、南への翠黛山方向に登っていこう。歩き始めた最初からずっと眺望は望めない。それでも1時間足らずで樹林の中の翠黛山に着いた。

 ここもやっぱり札が林立していた。平家物語にもこの翠黛山が登場するとあり、寂光院に隠棲していた建礼門院が仏様にお供えの花を摘みにこられたり、この頂に立って都の暮らしを思い起こされたであろうと書かれている。
 なんと古の都人が偲ばれるような趣ある筆が素晴らしい。思わず京の公達のような気持ちになって、すこし腰をおかせていただこう。ふと香しき雰囲気を感ずれば、周りにはタムシバの木々が古の舞台に彩を添えてくれているような心とさせてくれる。

 ひと時の心遊ばせる自然のなかの都人の心を喜び、最後の金毘羅山へ向おう。すぐで寂光院への巻道別れを過ぎて、道は次第に岩っぽい箇所が所どころに出てきた。指導標にはロッククライミングゲレンデもどうりだ。
 金毘羅山は京都の岳人には岩登りのゲレンデとしてつとに名高いのだ。三角点地の分岐まで進むと本日初めての登山者に出会った。さすがにGW明けの平日で人影はほとんどない。とりあえず双耳峰の奥のピーク572.8m3等三角点に挨拶としよう。途中には新しくなった三壷大神、そこをお参りしてからもう一つのピークである金毘羅山三角点地だ。大きなタカノツメの木の下の岩へ腰かけお昼とした。でもここまでヒカゲツツジはどこにも花殻すらもまったく出会わなかったのが悔やまれた。

 

 戻りは比叡山や京の市街地を見下ろしながら、先の分岐地まで戻って展望台、そして江文神社向けて降りよう。やや岩ゴロを縫いながらロッククライミングゲレンデ(展望台)の標識どうりに少し降ってゲレンデの岩の頭に立って比叡の山並みを俯瞰した。岩上ではさすがに足元は心もとなかった。ここの岩には先客二人の見物者が来ていた。

 
ロッククライミングゲレンデの岩の上から比叡の山並み、尖っているのが水井山、右に横高山、さらに右が大比叡方向

 やや引き返して琴平新宮社へ降って、久しぶりに誰もいない社で頭を垂れるのであった。今も社を守っている方はあるのだろうか。そして江文峠への別れを右に見送り、左への江文神社へ下山とした。もちろん、江文神社でも最後のお参りとした。

 さて、この江文神社といえば「大原のざご寝」ということが小説家の井原西鶴の好色一代男に出てきて世に知られるようになったようだ。それは大蛇が蛇井出村の大淵という池に棲んで、時々大暴れするので、男女が節分の日に江文神社に集まって臥して隠れるようになったといわれる。ところが、一村の男女が一か所に集まり、灯を消すことから風紀上いかがわしく、明治以前に禁止されてしまったと伝えられている。

 この後は廃館となった小松美術館の雰囲気を覗いたが、ただ侘びしさが感ぜられた。戸寺バス停到着で、ゆったりバスの人となって三山を眺めていた。それにしても今日も静かな大原三山のハイクを楽しむことができたのだ。

 なお、文中の松の木のコブに関する表記については日本林業技術協会編・東京書籍「森林の100不思議」を参照

ホームヘ












ケーブル道からの愛宕山  裏山ハイキング  取立山の花  裏愛宕六山縦走