エ ッ セ イ

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 令和 2年  3年上 3年下       

      西山の植物も「オレ流」の整理   H17.1.6

 山歩きの中で何年か前から植物好きが高じて、今では「あっ、このかわいいお花は?、あの高いところに大きなお花が咲いてる。この木は何の木?」などとの問いに答える楽しさが、ことのほかうれしくなっています。

 しかし、とりとめなき山野草のための徘徊もそろそろ幕を降ろして、今年からは予想も難しいとはいえ、「京都西山の植物たち」に的を絞ってみようと心づもりができてきました。

 加えて、山歩きの人たちが押しなべて花好きということも身をもって知りえたことから、植物の調査内容の整理とインターネットのホームページ化をしてみたいと考えています。

 乙訓地方にも、自然を守るために多くの方が活動され、自生する植物はおおむね把握されていますが、あくまでも自分なりにやってみたいと思っています。

 納得できるほどの植物把握となるか不安ですが、プロ野球の落合監督のように、あくまで「オレ流」で取り組めたらと、お正月から心躍らせています。

         山また山の北山の林道工事   H17.1.29

 無数にある北山のハイキングコースを歩いていつも不思議に思うことがあります。近年平日も数多く山へ入っており、頂上近くまで多くの林道が走っていますが、今年も北山歩きを楽しみにしているハイカーの一人としてこの林道について考えてみたいと思います。

 みなさんは如何でしょう。私は山歩きの中で林道を山仕事などで利用していると思えるような車など目にしたことがありません。いえそれより車が通れないほどの倒木がそのまま放置されていることはままあります。
 一体、林道とはどのような目的で設けられているのでしょうか。林業関係者のみの道のためではないでしょう。多種多様な利用目的があって初めてその価値があるというものですが、現実の林道は費用対効果を考えれば如何なものかと思えるのです。でも必要な方もあるのだろうと話しながら登山中には歩かせてもらっています。

 ところが登山道を横切って林道が作られ、その道が突然無くなり、コンクリートで固められ、そこまで歩いてきた我々は降りようもないありさまで、やむなく急な崖状態の下りを無理やり林道へ出る始末でした。もちろん次の登りも道がありませんので危ない急な坂をよじ登り何とか登山道へと戻ることができました。近くには同じように登山道を寸断して、同じ方法により工事が進行中でもあります。

 そこで林道工事建設の当局に対し、建設許可時に次のような条件の検討を願えたらと思っています。その条件とは「登山道を寸断する林道工事には降り口と登り口を設置する」ことです。

 現状の工事施工方法は在来の登山道をまったくないがしろにした方法で、このような工事をしていると今後万一登山者に事故が発生した場合など重大な問題が提起されないとも限りません。是非監督官庁の速やかなる配慮を願いたいものです。  

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 スプリングエフェメラルへの想い H17.3.17

 ことしも春植物の季節がめぐってきています。近年スプリングエフェメラルという言葉をよく耳にするようになったと思いませんか?

 早春の頃に芽吹いてお花を咲かせ、初夏ともなれば姿を消してしまう、あたかもカゲロウのようなはかない山野草たちをいつの頃からかスプリングエフェメラルと呼ぶようになっているようです。

 いつかカタクリだけがスプリングエフェメラルだよと聞いたことがありますが、実は他にも多くの野草が含まれていることはあまり知られていないようです。

 キクザキイチゲなどのイチリンソウ属、スハマソウなどのミスミソウ属そしてセリバオウレンなどのオウレン属などや山麓でも見られるために多くの方の鑑賞の対象ともなっているセツブンソウにフクジュソウなど数え切れない種が、この時季では野山はまだ枯葉を落として明るい林床だけに、春のこもれ日を浴び、あたり一面に満面の笑みを浮かべるかのような、お花をいっぱい広げて咲き誇った花風景をつくっています。

 ところがどうでしょう。これらの美しさに心ならずもつい手を出してしまい、盗掘が後を絶たないといわれています。どちらの自生地でもこのようなことから、個体数の減少に頭を痛めています。

 山へ分け入る人々の植物への共生の心を、今一度考えるのも山歩きの大事な楽しみの一つといえるのではないでしょうか。

 妻に支えられ山歩きを満喫  H17.12.1

 今年も師走がやってきた。なぜかエッセイの書き込みが早春より途絶えたのは残念でならない。何を隠そう、今年の春から本格的に山歩きが忙しくなり、その数は年内で約150回越え、なんと月に12回強のペースで、時間がいくらあっても足りない日々となってしまった。

 中でも、4月の関東の高尾山と妙義山は早春の花々がかれんであったし、7月の尾瀬、谷川岳、8月の北アルプスの朝日岳などは高山植物のオンパレードだった。

 さらには10月の日光白根山などの山小屋泊の山行は、稜線万歩とどこまでも続く山並みの展望がことのほか楽しかった。もちろん近在の日帰り山行も気軽で面白かった。

 これだけの山歩きができたのは自ら月に10回は歩くぞとの計画とその実行への強い精神力、さらには健康であったのも論をまたないが、大きな支えは妻の理解が一番であったのはいうまでもない。

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 春の七草思う懐かしい冬景色 H18.1.5

 生まれ育った地は、厳しい寒さの続く日本海よりの山村、裕福な家庭は多くはなかったが、暮らす人たちはけなげで明るく、幼少の子らはそこで生きる大人たちの姿をしっかりと受け継いで成長していた。

 そんな中でのお正月、この時とばかりにおなかにおもちを詰め込んだ、子らの疲れた胃袋を休ませるために春の七草を食した習慣も、古くから受け継がれた文化を楽しむのでもなく、ただ生活の一部として繰り返されていたのだろうか。

 小子化の今どきとは違い、母が四十歳を過ぎても弟や妹のできる昭和の時代だ。姉や兄たちと母の炊く七草がゆのにおいをかぎつけ、夢中で遊ぶ雪囲いから引き上げた。われ先にと家の中に飛び込んで、霜焼けの手で温かいおわんを取り合ったものである。

 そんな冬風景を懐かしんでいるが、今や七草は野には見つからない。スーパーで買ってくる人も多いが、風情がなくなったと思うのは私だけだろうか。

 えも言われぬ雪景色の金閣 H18.2.4

 今年は久しぶりに昨年末からの豪雪で、北陸路は生活にまで影響するほどです。

 そんな雪国のことを忘れたわけではないのですが、私は年末の思わぬ雪情報により早朝より金閣寺へ行き、雪景色の中に浮かび上がるえも言われぬ風景に大きな感銘を受けました。

 三島由紀夫の「金閣寺」や水上勉の「金閣寺炎上」は大好きな小説です。そのくだりを思い浮かべながら、まるで絵のような雪の金閣寺の写真を撮りました。

 このようなすばらしい京都の街並みをこよなく愛する気持ちにさせてくれるのも、この時季なら雪の背景ではないのでしょうか。極寒の京都と言われますが、その借景には在在所所(ざいざいしょしょ)こと欠きません。
 まだまだ冬本番中ですが、はんなりと春めく気持ちにさせてくれる立春も過ぎ、あとは本格的な春を待つばかりです。

   

 春を呼ぶ香りの花風 H18.3.5

 先日私にとって数少ないバスへの乗車機会があった。なぜかバスは満員である。伺うとクラシックコンサートの催しへ向かうとの明るい笑顔が並んでいた。

 ところが次に停まったバスには大声でもっと詰めろ!そこの席は俺が座る席だぞ替われ!との罵声を浴びせるような態度で年配の男性が乗客を押しのけている。バス内はそれまでの空気と一変してしまった。
 すぐさま席を空けた女性によりそこは何とか静まったかにみえたが、その男性の高歌放吟の態度にどうやらあまり関わらない方がいいのではとの思いが先にでたり、いや少し注意を促してはと思ったりしている間に、かの男性は降りるよ!と叫んでさっさと下車してしまった。

 あとの車内は呆然とした空気が流れてコンサート会場がきたのか、たいがいの乗客はいなくなったと同時に、香しい黄色い花枝を抱えた着物のお嬢さんがそっとかたわらに座った。
 のぞいている枝先からローバイの黄金色の花びらがほほ笑みかけて、ほのかなあまい香りを一面にふりまいてくれるようだった。

 このすばらしき春を呼ぶ花風景のような香りの空間を乗せてバスがゆっくりと走り去るのを見ながら、先ほどの満員時の心荒んだわが気持ちを忘れようとしていた。

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 西山の森守る山道整備望む H18.3.15

 新聞で「西山ハイキングコースの整備検討」の記事を目にし、実現を心待ちにしています。京都西山の善峰寺、光明寺、楊谷寺の西山三山を山沿いにつなぐコースを整備検討とのことで、地元に住むわが身としては「これはありがたい」との気持ちで心騒いでいます。

 私はポンポン山山系の道々はほとんど歩いているために今さらの感ではありますが、多くの方々のハイクで道が自然に整備され、のんびり歩きにはうってつけのコースとなるだろうと思います。少しでも早くルート設定を首を長くして待ち望んでいます。

 近年中高年の山歩きブームにより、あちこちの貴重な植物たちが盗掘されたり、オーバーユースとなって踏み付けにされ自然が壊されています。このハイクコース設定により、緑豊かな西山の森が泣くようなことは絶対に避けねばなりませんし、このような心配が杞憂であればうれしいのですが・・

 もちろん道や橋、道標などの設置には、必要最小限の自然を損なわない配慮は当然です。当局の適正な検討を祈るばかりです。

 

 「18キップ」で夢心地花旅行 H18.4.11

 3月から4月にかけてJRの「青春18キップ」で遠距離の山の花旅を二度もさせていただいた。

 最初は冠雪の富士山を遠望しながら箱根の外輪山を8時間の縦走で、後半は青息吐息寸前ではあったがお天気の応援もあり、富士山の素晴らしさを目の当たりに大きな感動が得られました。
 その翌日もさらに富士に近い箱根駒ケ岳からまともに富士山を仰ぎ見ることができ、山友達の誰彼ともなく「多幸多福」とはこのことではないかとの言葉も聞こえてきました。

 また4月にはスミレで名をはせる東京の高尾山でお目当てのタカオスミレにも初めて出合え、ハナネコノメもまだ咲き残って出迎えてくれるなど感動の連続でした。その夢のような花園はこのキップで新潟へ行った山でも続いていました。

 関西の近在ではこれほどの大群落を知らないほどのカタクリ、オオミスミソウ、キクザキイチゲなどの競演やその他越後の固有種も観察でき夢見心地のフラワートレックとなりました。

 参加者たちは「青春18キップ」でリーズナブルな山旅ができたことをみんなで喜び合いました。ありがとうJRさん!

 クリンソウが山歩きに誘う H18.5.20

 薫風の五月、私にとって最高のシーズンを迎えている。近場の北山、西山などの山々にはピンク色の華やかなクリンソウが山影の湿地帯にところ狭しと咲いている。この花風景を見るために何度も何度も足しげく通って楽しんでいる。

 汗して山中に大群生で咲いているクリンソウに出会えるのは、山歩きする者にとっては感動そのものである。下界の騒がしい社会で日々を送る現代人は、心の安らぎに何を求めているのだろうかと、時々思うことがある。

 サラリーマン時代は、何かにつけて辛かったが、きれいな空気を胸いっぱい吸い込みながら山でクリンソウに心躍らせている今の私は、幸せそのものかもしれない。こうした山歩きをいつまでも続けたいと思っている。

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ウチョウランみつけて幸せに H18.7.14

 珍しい花をみつけたから一緒にどう?と花好きな山友からメールが飛び込んできた。もちろん何はさておいてもはせ参じることとした。

 それは岩壁の窪んだ狭いところに高さ15cmほどで細長い葉を2〜3個伸ばして、その中にほんのり薄い紅紫色の花が5つも咲いていた。

 これがウチョウランか、初めて見た、可愛い花だね。と一挙に興奮気味で危ない足元を忘れるほどでもあった。 この花の自生地はまさしく「高嶺の花」と呼ぶにふさわしい断崖絶壁が多いようだが、運良く写真に収めることもでき二重の喜びとなったのである。

 図鑑やネットなどで調べると、このウチョウランは日本固有の野生ランの代表種であり、今やほとんど絶滅。そしてランの愛好家により育てられているのが現実のようである。

 そのような希少なランをそれもまったくの自生種を目の当たりに興奮冷めやらない一時を過ごした。当日は他にもラン科のコクラン、クモキリソウ、オオバノトンボソウなども見られたが、ウチョウランの興奮度には格段の差があった。

 希少山野草の盗掘というお決まりのパターンをたどらないで、いつまでもこのウチョウランがこの岩場でどうか咲き続けてくれることを祈らずにはいられない。    

ウチョウラン(ラン科)H18.7.11

 

 「G最下位脱出」の見出し悲しい H18.8.6

 どうしたジャイアンツ!、、、。9連覇の黄金時代を知るファンにとって、この新聞の見出しを見て淋しさを通り越して涙が出るほど悲しさがつのっている。

 川上、長島、王などと同じような国民的英雄の輩出を今や望むべくもないが、それにしても昨今の巨人軍の体たらくには野球ファンとしては淋しくもあり、この原因はなんなのだろうかと思うのは私ひとりではないだろう。

 確かに野球界の再編により選手層の平準化は進み、球界のホープであったゴジラこと松井秀樹選手の大リーグへの逸失などが大きな要因でもあろうが、それにも増して残っている高橋由、小久保に上原たちのあまりにも元気のなさが目にあまりはしないか。せめてもの救いは李承Yが本塁打部門でトップをいくことだが、いかんせんその前後をかためる選手も手薄だ。

 さらに追い討ちをかけるようにTV界での放映もどんどん減少し、あっても延長放映を9時で打ち切る始末である。長年の巨人ファンとしてこれ以上の淋しい思いをさせないでほしいと願う人たちもきっと同じ思いをしていることだろう。いや、きっと来る往年のあの巨人軍が!!

花との出合い心が躍る毎日 H18.8.18

 先日暑いこの時季に咲くといわれるレンゲショウマを狙って甲斐の三ツ峠山に登ってきました。当日は歩き始めから最後まで生憎の小雨に遭ってしまいましたが、その雨の中の落葉樹林下であたりは薄暗いにもかかわらず、まるで私の足元を照らすランプのような花姿が一面に雨滴を下げて出迎えてくれたのにはうれしさを通り越して驚いてしまいました。

 なぜなら一株二株と出会うことはあってもこの雑草のごとく登山道沿いに途切れることなく続くレンゲショウマの花景色はほんとうに見事でありました。

 そうこのように大自然の中に見事に咲き誇る花々のなんと心洗われることでしょう。汗拭きながら自らの足でやっとたどり着き目の前に繰り広げられるお花畑なら喜びはもう言葉にはいいつくせません。

 さぁ、次のお花畑はどちらの山岳で出合えるのだろうか、楽しみはつきない今日この頃です。

三ツ峠山で見られたレンゲショウマ(キンポウゲ科)H18.8.16
  

 山へ向う心の葛藤嬉し悲し H18.10.12

 三連休の北アルプスでは初冠雪となったが、大荒れの天候の中で七人が亡くなるなど悲しい山の情報が飛び交った。

 我らはその直前に涸沢カールの紅葉をめでて上高地へ下山したために間一髪有事を免れ、まさに肺腑をつかれる思いだった。まさか雪山になるとは露知らずに雨天を予期して穂高登頂から涸沢の紅葉狩りのみの山歩きにプラン変更は神が知らせたのであろうかと後で胸をなでおろしながらの弁でもあった。

 今年の涸沢の紅葉はやや例年より遅れ気味であったにしても、連稜の3000m峰をバックにあたりの赤や黄色の大パノラマを目の当たりにした会心の笑みがメンバーの顔からこぼれ落ちんばかりで「涸沢に行こう!」と声を出した者としてニンマリであった。

 だが、しかしこの度の山を振り返って、なにがなんでも頂上を目出せばよいものだろうか、いや人はみな一旦計画すればどうしても完遂しなければの心が先行してしまうのではと、いろいろ紆余曲折しながら大地を見抜く山への心をと、その後の山行で日ごと深まる秋彩の山道で考えながら家路を急ぐのであった。

 北アの遭難は秋山が天候の悪化により突然冬山になってのこととはいえ装備に問題はなかっただろうか、やっぱり山へ入ろうと思えば万全の準備と天候の見極め、それに登山中の状況変化に柔軟なる心も持ち合わすことも大きな心構えではなかろうか。

 なにはともあれ冷静沈着な行動により命を粗末にするような登山は絶対に避けねばならないだろう。と深く心に刻んだ。勝手知った山とはいっても決して甘くみることはいけない。自然は生きているのだから・・ 

黄葉のミズナラ、カラマツ林から日が昇る。

 

 

 定年後の健康真剣に考えて H18.11.6

 昨今、団塊の世代向けの情報が世に飛び交っていますが、私には消費のターゲットにされているような気がしてなりません。

 これらの人が消費市場にどっと流れ込んでくるのではないかと言われ、それが過大に騒がれていないでしょうか。団塊の世代の方々は、自らのセカンドライフをしっかり生きるために、慎重な対策を講じる準備を怠らないようにしたいものです。

 加齢による健康問題はすべての方に避けては通れないものですが、個人消費の主役と持ち上げられて踊らされたら大変です。私はより健康に生きる定年後の人生をどう暮らすべきかを、真剣に考える必要があると思います。

 それにはまず自然に親しむ趣味を早期に見つけ、無理をしないで継続していくのが最良の道と考えます。その一つが登山ではないでしょうか。私はこれほど健康に役立つ趣味は他にないと思っています。

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次回の富士見山行が楽しみ H19.11.15

 私と富士山の付き合いはそう長くはありませんが、山歩きを趣味として以来、目の前に白い冠雪のでっかい富士が出現したときの感激は、決して脳裏から消えません。

 今年も登ってきました。静岡と山梨の県境にある毛無山へ行き、そして翌日は、その隣の長者ケ岳へも富士を見ながら歩いたのです。

 最近は、富士を見るのに一番適しているといわれる秋から冬にかけて、富士を眺めながらの山歩きを楽しんでいます。この山歩きが、この上ない感動を味わえるのです。
 私は常々、冨士山には登らず見るだけにします、と山仲間に宣言しています。「冨士山に二度登るバカ、一度も登らぬバカ」とも言われますが、その一度も登らない未登頂の一人です。

 今回の西側からの富士見山行は、やや天候不順でしたが、それでもその麗々しい姿はしっかりと見せてくれました。昨今の温暖化の影響からか、十一月初旬というのに雪は山頂にうっすらとしかありませんでした。

 次回は、北側から新雪を踏みながらの富士見山行を計画しています。どんな景色が見られるのかと思うと待ち遠しく、今から予定コースをネットを検索して楽しんでいます。

 

多くの出会いは山と花から H19.12.26

 今年も私にとっては何ごともなく終わろうとしています。でも世相は殺伐たる状況の一年ではなかったのではないでしょうか。

 しかしながら「愛は世の中を動かす。」という慣用句のごとく他人や他国への愛が、世の中を円満に保つ元だということを今一度かみしめてみたいと思います。

 私はこの一年も山と花たちにより、多くの人達との出会いが生じたことによって、これまでにない人の心根を知ることができ、長い人生経験の中で数少ない気持ちにしてもらえたことに大きな感謝の念でいっぱいでありました。

 山歩きが高じて山野草、高山植物たちをガイドする機会を得ていますが、自然観察の中で何ごとにおいても相手を慈しみ大切にあがない、花の顔(カンバセ)というごとく、奥ゆかしくそれでいてきれいな人生を常に心した日常を意識することなく、暮らすことができうるべく生きていくことがかなえられれば、このうえない喜びとなることでしょう。

 礼文利尻から尾瀬や白山、さらにはミヤマキリシマの霧島連山など全国の山の花巡りの方々と元気に楽しめた嬉しい一年でした。

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ハマっています富士見山行 H20.2.12

 一月からすでに4回の富士を見ながらの山歩きの旅をしています。山梨県内にある三つ峠といえば冨士山展望の山としてあまりにも有名なのですが、その隣の倉見山と杓子山は意外にマイナーな山のようです。

 今回はこれをつないで歩こうと思い立ちましたが、これがまたすばらしい富士の展望が随所にあり、思う存分に極上の景色を楽しめたのはいうまでもありません。

 ところが二つの山をつなぐ稜線の尾根筋が事前調査以上の手ごわい骨ある道だったのです。情報により友を誘うのは止めた方がよさそうと単独行でチャレンジしましたが、山中でも出会う登山者もなく、ヤセ尾根の中に薄い踏み跡も心もとなく、地形図と首っぴきで山稜に続く岩場などを通過し、もちろん急登にもロープ、梯子も皆無で、体力をほぼ使い尽くすほどの登山道でした。そんな苦労して辿りついた西日傾く杓子山頂上での嬉しさはこれまでに経験した山歩きでも一番ともいえる感動が味わえました。

 鋼(ハガネ)のように強靭な身体で世に送り出してくれた今はなき両親に感謝しながら、逆光で雲の中の富士を飽きることなく眺めたのでした。

 

 懐かしき故郷の山を歩きました。 H20.3.25

 お彼岸に両親のお墓参りに私の田舎である但馬へ出かけてきました。年々多彩に様変わりしていくあたりの風景には古きよき郷愁のページが消失するかのように思えてなりません。

 しかし、いたずらばかりで過したやんちゃ坊主時代の友達の顔は忘れることはありません。一方友ばかりでなく連なる山々の姿も脳裏に焼きついています。
 そんな中の一つ来日岳に登ってきました。地元では確か「くりいざん」と親しみを込めて呼ばれていたのを兄にも問いただすと、もちろん今でもそう呼んでいるよと聞き、脈々と続くその地の人達の心根をとてもうれしく思えるのでした。

 たかだか、567mの低山ですが、これがまたナガハシスミレ、アオイスミレ、スミレサイシンに極めつけはオトメスミレまで見られるすばらしく植生豊かな自然をそなえた山なのです。

 もちろん、スミレだけでなくスズシロソウ、ヤマルリソウ、シャク、カキドオシなどの山野草いっぱいで、さらにはヒュウガミズキ、タムシバ、キブシ、クマシデ、アブラチャン、ダンコウバイなど限りない樹木種の花々が楽しめる里山であり、お気軽山歩きのお気に入りとなっているのはいうまでもありません。

 ただ、今回の訪問はいつもよりやや時季早く、加えて近年にない多雪の年だったためにお花たちの開花が少なく、少しばかりの山野草を楽しんできました。でもこれからどんどんいろいろなお花たちの競演となることでしょう・・・

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演歌にも似て人生楽し H20.4.3

 私は歌はうまく歌えませんが、歌を聴くのが何よりも大好きです。とりわけ、テレビの演歌の歌番組には目がありません。

 特に大ファンとなったのは八代亜紀さんです。先日もテレビで彼女の歌を聴きました。若かった日のことを思い浮かべながら、彼女の名曲に酔いしれてしまいました。その歌は「寒い夜汽車で膝を立てながら・・・」で始まる「愛の終着駅」です。1977年(昭和52年)の歌といいますから、時代はもう三十年も過ぎてしまったようです。あのころはカラオケ全盛期で、毎晩のように聴いたものです。

 もちろん、その歌詞にもしびれました。「君の幸せ考えてみたい・・・」などという歌の一節が、若かった私の心をとらえたのはいうまでもありません。

 仕事仲間と心をひとつにして、われ先にとマイクを奪い合いながら歌いました。そしてそのあとも「舟歌」「雨の慕情」と、ヒット曲が続出で、八代ファンとしてレコードやテープを買い求めて、ドライブ中も聴き続けました。

 今にして思えば、仕事に追われながらの人生で、どこかよりどころを求めていたのだと思います。

 

 城崎にての同窓会はうれしい  H20.6.16

 運良く梅雨の晴れ間に小学校卒業52年後の幼馴染が城崎温泉にあい寄った。当方は故郷の山で好きな一つでもある来日岳をひと歩きしてからその足で同窓会会場に馳せ参じた。

 もうこの年である。どの顔ぶれもそれなりに社会に貢献してきたのだという自負めいた面構えが並んでいた。中でも勉強もトップクラスで加えて体育ならどんな種目も一番のその君は今ではゴルフに日がな明け暮れる日々だとグイグイ杯を傾けながら笑顔で近況を聞かせてくれた。

 隣に座っている男前は政治の世界に首を突っ込もうと本気で立候補まで考えたが、最後に妻と父親の猛反対に押し切られて平凡なサラリーマンの人生だったが、これが分相応だったのだとしみじみ語ってくれた。

 宴たけなわ腕白坊主で名を馳せていた彼はマイクを離さず喉を披露して場を明るく賑やかににしてくれている。

 クラスのマドンナは今でもみんなの人気ものだ。このところ老人大学で遊んでいるのです。とこともなげに話す柔和な笑顔が幼少の日々を走馬灯のように駆け巡る。

 楽しいひと時を作ってくれた世話人に感謝しながら、これからも健康に注意して再会を心に城崎を後にしたのは私だけではないだろう。

 

 八重立つ山に我が身うれし   H20.10.31

 今年も全国の山歩きで150日を雄に越える時を過すことができ、健やかなる我が身を亡き両親に山頂でも手を合わすことを常としています。

 北は利尻山から南は開聞岳と登り、とりわけ北アルプスの槍、穂高の鋭鋒たちはもとより花の白馬三山縦走時のアイスバーンと化した雪渓、落下頻繁たる落石谷などのトラバースに肝を冷やした思い出や、日本有数の花の名山である北陸の白山には夏のハイシーズンや紅葉期まで5回も歩いたほどです。

 もちろん私にとっての山登りの目的は花巡りが一番の楽しみではありますが、富士展望の山歩きも数え切れないほど足を運びました。

 春浅き御坂黒岳の河口湖越しに見る雄大で天をつくあの富士の姿には目がくれるほどの感激がいつまでたっても薄れはしません。

 例年初冬から2月の間の山登りはぐっとおさえて静かに春を待つこととしていますが、その間に次のような山を再思三考したいと思います。

 それは雪と岩の殿堂として名を馳せる北アルプスの剣岳への登頂で、花もない岩山にどうして?との思いが揺らいだのはその頂き近くのガレ場にひっそりと咲くというタテヤマイワブキという稀産種に出会えるかも知れないからであり、なんとか出会いたいと綿密なる調査などで冬を越したいと、花のために夏の冒険への挑戦を今からワクワクしています。

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   古くからの里山の自然を思い出そう! H22.1.29

 長い間忙しくしており、エッセイ欄の更新も忘れてしまっていました。先日山でお会いした方からの声で思い出しました。
 蛙鳴蝉噪(アメイセンソウ)だと言われるかも知れませんが、駄文を承知でご容赦いただくとして斜め読みしてみてくださいませ。

 「ふるさと」「春が来た」「春の小川」などの童謡は日本人の誰もが郷愁を誘そわれ、心清らかにしてくれる効果があるのは何故なんでしょうか?

 新年に入り、雪山を訪ねてみて木々の冬芽が目につき、あーもう植物たちも春の準備をしてるんだ〜などとのんびりと春の目覚めに気がつきました。

 私は近年自然に対し敬意を持って接するよう心したいと思ってはいるのですが、それらから得られる新たな認識に真摯に受け止める精神を持つところまではなかなか達しません。
 たとえばアウトドアの中でも五感を通じて様々な現象が知覚されることになるのですが、その自然の現象をどう自らの心とするのかは容易ではありません。

 山旅などでご一緒する方々のなかには自然に対する憧憬や興味の極めて強い人達に出会うことがよくあります。どなたでもそうでしょうが、自分が興味を惹かれる物事については深い造詣度が専門家ではないのか?と思われるほどになるものです。

 幼少の頃にすごした丘のような山や小川のせせらぎは何十年過ぎようと脳裏からは消え去ることは無いでしょうから、たとえビルの砂漠に暮らすような身となっても山歩きなどのなかにおいてすばらしい光景に出会うと心打たれて記憶が踊ることになるのでしょうか。

 私も山好きな方々と接しながら更なる自然への深い造詣やその山その地域にマッチした知識を深められるような心を持ち続けたいものです。

  

  

    鬼の念仏春を待つ我が心     H22.2.4

 節分の翌日は立春ですね。そうきょう2月4日は立春です。暦の上ではこの日から立夏(今年は5月5日)の前日までが春となり、約1か月続いた「寒」も明けて、これからは次第に寒さが緩んで暖かくなっていきます。
ただ、「余寒(よかん)」といってたびたび寒い日が現れることもあり、寒さと暖かさが一進一退を繰り返しながら春めいてくるのです。とnet上のinfoseek豆知識で解説しています。

 二十四節気の立春という言葉を聞いただけでほんとうに春は近いんだなぁと思えるのはそれまで寒かった日々をやり過ごした身に当然のように感じるからなんでしょう

 でも私はまだまだ春までにやらなければならない楽しみ?があります。もちろん真っ白な雪稜の頂を目指して汗流すほどの雪山行きなのですが、そんな忙しい間をぬうようにしながら春の自然はどう展開してくれるのだろうかなどと思いをはせながら手持ちの図鑑・netや、はたまた近くの図書館通いで知識の導入です。

 今年の私のテーマは野生種の桜です。数ある桜ですが中でも野生種がお気に入りです。一つひとつその相違点など可能な限り悪戦苦闘なれども後々噬臍(ゼイセイ)の悔いなきよう寒き日々のこの頃を過したいと考えています。

 きっと春景色がそれに百花に彩られる山々が私の目も心も楽しませてくれることでしょうからと想いつつ・・。  

 

 

 

    3月の戻り寒波に暖をとりながら    H22.3.9

 発達した低気圧が本州の太平洋岸を通過した9日、西日本は朝から広い範囲で雨風が強まり荒れ模様となった。上空に流れ込んだ寒気の影響で、兵庫県や中国地方の山沿いなどは雪に見舞われた。
 気象庁によると30cmの積雪や最低気温0.3度など平年より降雪量を大幅に上回ったり、寒い日となったと新聞は報じていました。

 このようにようやく暖かくなったように感じる日が来たと思うと突如として寒波が押し寄せたりして、3月上旬は特に天候が不安定ですね。お陰で私の明日の山歩きは残念ながら延期とせざるを得ない。笑

 しかしながらこのような雪、雨などを待ちわびて喜んでいる世界もあろう。生き物たちだ。とりわけ植物はみなといっていいくらいこの季節を待ちわびていたことだろう。まさに慈雨だ。いよいよ3月も中旬となれば野にも菜の花が咲き始めるのだが、3月中旬から4月にかけて降る春の長雨を「菜種梅雨」というが、桜の花をはじめとしていろいろな花を催(もよお)す、つまり咲かせるという意味で、催花雨(さいかう)とも言われます。と気象の豆知識は教えています。

 さらに趣のある言葉に木の芽が出てくる春の初めに降る雨を指す「木の芽(きのめ)おこし」という語感がわたしは好きなんです。そう落葉樹の樹木たちが冬芽を次第に膨らませながら春を待ちわびているその様子がなんともいとおしいのですが・・。 

 

 天候不順のなかで山を想う        H22.4.22

 雨模様の日々が続いている。山へむかえない気持ちを本のページに追う。それにしても山・山・山〜

 今回は登山から視点を変えて考えてみよう。さて私たちは昨今、何かしら自然に対する思い違いをしていないだろうか。低山ばかりの京都西山にはポンポン山というユニークな名の山がハイカーに好まれて歩かれているようだ。もちろん私もその一人であり、先日もその歩きのなかで檜の植林が終わったそばを通過した。
 これでまた見晴しが悪くなり、おまけに花粉症に悩まされるなぁ・・なんて話し声が漏れてきた。でもそんな心配ではなく、うん元気に山を守ってくれているな、ご苦労さん!というような感動、いや感謝の言葉がなぜ出てこないのだろうか?

 日本には世界に誇れる日本の文化があると言われている。それは日本人は木を切っては植え、植えついでは緑を絶やさなかった国だということだ。
 森林は木材を生産するがなぜか今では世界一の木材輸入国となってしまっている。また森林は水源を涵養することは誰もが知りえたる事実でもある。山崩れ、洪水、暴風、暴雪、火災、音などを防止する機能があることも知らなくてはならい。
 もちろん野鳥がさえずり、種々の植物がひっそりと咲き誇って大気を浄化し酸素供給機能となり、訪れる人々をフィトンチッドという人間の心身に対するよい物質も提供してくれる。
 さらに森林の効用は昨今賑やかとなっている地球温暖化問題で森林の二酸化炭素を固定化する働きがあることも言われている。

 このように森林は大きな効用があるにもかかわらず、山を守る人達の暮らす山村の過疎化は目に余るものがあり、大都会に住む方はもちろん全ての人達が自然に対する考え方をあらためて考え直す時が遅すぎると思うのは私だけではないだろう。

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    ブナの森を歩く            H22.5.24

 このところの山歩きは高島トレイルが多くなっている。このトレイルは主として滋賀県の高島の方たちによって開かれたマキノの愛発越から朽木の三国岳へ至る80kmに及ぶ道であり、このトレイルを歩けば方々から望むことができる琵琶湖と若狭湾は中央分水嶺であることを教えてくれる。

 そのトレイルに昨今多数の登山者が訪れるようになった一つに、このトレイルが東西南北の気候植生など類稀な一帯であり、とりわけ比較的若いブナ林が方々で見られることが山歩きの方々に一応の評価となっていることだろう。

 ものの本によるとこのブナの林は古くはわが国ではスギ、ヒノキやケヤキなどのすぐれた材があったことから、腐りやすく狂いを生じやすいブナは薪炭材として利用されてきたにすぎなかったようだ。
 しかし、その後利用開発の研究が進み第二次世界大戦後には木材加工技術も高まり、ブナ材は床板用、合板用、家具用など大量に利用となって大伐採が急速に進み、その跡地にはブナの更新は行われずスギ、カラマツなどが植栽され、その結果今ではブナ林は残り少ないものとなってしまった経緯があるようだ。

 そんなブナだが、ブナ林が次のような生活の森であったことを思いを馳せながら私はブナの森を楽しみながら歩いている。
 それはブナ林がもたらす山の幸と思うのだが、ブナ、オニグルミ、ヤマグリ、トチなどの木の実が動物のみならず人の食用にされていたのだろう。
 それにゼンマイ、ワラビ、コゴミ、タラノメ、ネマガリダケなどの山菜も山に暮らす人達の必需品でもあっただろう。もちろん秋にはキノコの宝庫となったであろうし、ナメコはブナ、マイタケはミズナラの倒木や伐り株に自生するが秋の最高のご馳走だったことだろう。

 このようなブナ林がこれからも未来にわたって長く保護されながら、自然環境の主役として生き残ってくれることを願いつつブナの森の山歩きをこれからもずっと続けようと思っている。

 

 

 今年も夏山を楽しもう!! H22.7.13

 既に千丈ケ岳、八ケ岳を歩いたが、この後も三ノ沢岳、白山、乗鞍岳、唐松岳、会津駒ケ岳、鹿島槍ケ岳に薬師岳など8月末までの予定は目白押しだ。

 これらの高山帯のお花畑にうっとりしながらのアルプス三昧はうれしい悲鳴ではあるが、今年こそは高山植物の美しさを愛でたり、山岳風景を楽しむだけの夏山でなく、多彩な美しさに満ちた日本の山の自然はどのような経過をもって現在があるのだろうか、また植物分布や地形・地質の不思議など山の自然学にまで興味をシフトさせた夏山としたい。

 このように自然の不思議さに感動する好奇心を強くし山の自然はどうしてできたのだろうか。はたまた遠い時代の氷河地形と植物群の関係や地球誕生から地質時代の変遷などを、どうして?、どうして?の心を失わないで、自然の仕組みを考えるような知的な登山を楽しめたらいいのになぁと思い描きながら梅雨空真っ只中のひと時を過している。

  

 

  

今年は夏の天候に助けられた夏山でした!H22.9.1

 今年も二百十日の9月1日となりました。とりわけ今年の夏は雨が少なく山登りには都合のよい年となりました。しかしながらあまりに気温が高すぎていろいろな支障が出てこないかが心配されるところです。

 さて、私の今年の夏山はこの二ヶ月間でアルプスなどに12回16座を登ることとなりました。その内1回だけ雨天となりましたが、他はすべて天候に恵まれてすばらしい夏山が楽しめました。登頂した山々は次のとおりでした。

千丈ケ岳、八ケ岳、三ノ沢岳、白山、甲斐駒ケ岳、乗鞍岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ケ岳、赤石岳、荒川三山、至仏山、燧ケ岳、会津駒ケ岳、鳳凰三山、薬師岳

 このような山々を歩いてみてさすがに高山植物のお花畑に遭遇する機会が多く、その感動も次第に色あせるような気がするほどで、終いにはもう飽きる程と言っても過言でない状態でした。

 そんな中で今年は植物ばかりでなく、山岳地形についてもこだわりながらの山歩きができたかな?とのアルプスでもありました。
 氷河時代の地形に刻まれた歴史、遠い昔の地下深くで出来た岩石のいろいろなど視野の広がった山の自然学をかじった山歩きの夏山でもありました。
 これからもこれらの知識を展開しながら幅広く深いその不思議について、更に吸収に努めて山歩きを楽しみたいと考えた夏山でもありました。

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 山は紅葉が始まったのかな・・?    H22.9.23

 相変わらず方々の山歩きに出かけていますが、山肌を見たお客様が「あれ〜もう紅葉が始まったのでしょうか、それにしても緑の中にポツポツと赤くなった木があちこちにあるのですが・・」との声がしました。
 これは9月の三連休で立山縦走に出かけ、富山地鉄立山駅から先の有料道路を走る車窓からの質問です。

 このような状態は関西でもイエ、全国各地で被害となっているようです。これは実は紅葉ではなくブナ科のミズナラ類の樹木が「カシノナガキクイムシ」により枯死させられた状態です。

 もう少し詳しく触れてみましょう。枯死しているのはナラ類のミズナラ、コナラやシイ・カシ類のウラジロガシ、マテバシイなどのブナ科の樹種だけです。
 樹木が枯死する時期は、葉の緑が濃い7月上旬〜9月下旬ですので、赤褐色の葉を付けた枯死木はよく目立ち、真夏に紅葉したかのような異様な光景が広がります。
 枯死木では葉が変色するだけでなく、カシノナガキクイムシが掘った多数の孔(穿入孔)からフラス(虫糞と木屑の混合物)が排出されて根元に堆積しているのが山歩き中でもよく見ることがあります。

 またもうひとつ目につくことはカシノナガキクイムシは森林の中で最も大きな木から先に孔をあけ、大径木から先に枯死させる傾向があるようです。
 近年になって被害が拡大したため、酸性雨や地球温暖化が被害発生要因であるとする仮説が提唱されましたが、調査の結果1960年代に始まった燃料革命(燃料を薪炭から化石燃料に切り替えた生活様式の変化)後、薪炭林施業を中止したために、樹木が大径木化している場所で発生していることが明らかになりました。そういえば枯れた樹木はほとんどが大木で背の低い細い木は見かけませんよね。

 京都府下でも「ナラ枯れ」被害の拡大問題で府と林野庁などの関係者が合同会議を開き、昨年度の1.45倍に拡大していることが報告され、大木のナラ類約4万本ほどが被害となっているようです。
 市町側から伐採処分の補助金増額を求められた府では「地域を絞り込んで重点的に対応する」考えを示したと新聞で報じています。
 (内容については京都府林業試験場小林正秀氏のむしむしコラムを参照させていただきました。)

 

  

 冬支度をいそいそと〜    H22.10.30

 秋も深まり朝晩の冷え込みは暖がほしいなと思うほどの日々となってきました。この時期に思いがけない温かな日があることがありますが、そんな陽気を小春日和と呼ばれているようです。ほんとに小春日和が待たれる今日この頃です。

 さて今年の夏山はすばらしい天候に恵まれ山をやる人達にはこの上ないアルプスなどが楽しめた年ではなかったでしょうか。
 しかしながらその反動かこの10月はなぜか山行きがわずかとなっています。おまけに台風14号のあおりをくって4日間の山も中止で雲散霧消〜・・?
 願わくばその台風14号が痛痒を感ぜずとなるのを祈るばかりです。そんなことから個人山行がまたぞろ始まりそうです。お天気の回復基調の来月1日くらいからは始動開始したいなと考え中です。

 もちろん秋から冬にかけては大好きな富士見の山歩きでしょう。でも何度も歩いて今頃分ったのですが山頂に立っても綺麗な富士が見られるとは限りません。まさに戸板に豆ではありませんが予報を調べて登ってもほんとうに思うようにはいきません。

 山梨県大月市のPRする秀麗富嶽12景の最後のひとつである奈良倉山が心残りとなっています。アクセス悪いこの山域になんとかこの暇な身をあてたいと思案中です。
 それにもう目の前に雪がくるころとなってしまいましたが、それまでに秩父・奥多摩方面を狙いたいのですが、さてどうなることでしょうか。

  

 

 今年も雪のシーズンが。。H22.12.9

 そろそろ山では初冠雪の便りがあちこちで聞かれるような時季となってきました。。でも雪山まで挑戦はちょっと勇気がいりますよね。しかし雪山とまでいかないにしても中級の山でも怖いのは雪崩ではないでしょうか。
 登山だけでなく、冬はスキーで山へ出かける方も多いと思います。安全にウィンタースポーツを楽しむためにも雪崩の特徴を覚えておきましょう。

 そこで気象の豆知識を読んでみました。以下は「Infoseekのきょうの豆知識」の概要です。

 雪崩の種類には表層雪崩といって古い積雪の上に新たに雪が積もった時に新雪部分が滑り落ちる現象で、新雪雪崩とも呼ばれているようです。大雪が降ったあとなどは、この新雪雪崩に注意が必要とのことです。
 もうひとつは全層雪崩といって積もった雪全体が一気に崩れ落ちる雪崩で、雪解け水が流れることなどによって、雪の層全体が滑り落ちる現象とのことです。全層雪崩は、気温が高くなる春先に多く発生する雪崩です。

 さてその雪崩はどんな時に発生するかを知っておくのもいいかと思います。まず全層雪崩は、地面と積雪の間に水が流れ込むことで起きるので、雪解けが進む気温の高いときや雨の降ったときは要注意です。
 全層雪崩は発生前に積雪の表面にひびが入ったり、しわが寄るなどの前兆が現れますのでその点特に注意したいですね。
 しかし、表層雪崩は前兆が現れず、予想するのが難しい雪崩とのことです。したがって、そのために雪崩遭難のほとんどが表層雪崩のようです。

 またその雪崩のスピードは速いという特徴があるそうです。最大では新幹線並みの速さになるので、雪崩を見たら直ぐに離れるようにしましょう。

 もし雪崩に巻き込まれてしまった時はあわてずに行動しましょう。大量の雪の中から脱出するのは非常に困難ですが、呼吸だけはできるように口に入ってくる雪をかきだして、口を覆うなどして気道を確保し続けることで助かる可能性が高くなるとのことです。

 雪山へ登る時には雪崩の発生しそうな急な斜面は避けるようにするなど、雪崩を常に意識した山登りを考慮し巻き込まれた時の対策まで想定して行動するようにしたいですね。

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辛卯(かのとう)の新年を迎えて   H23.1.2

 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく願います。

 さて、今年のお正月は近年にない日本列島大寒波によって、とりわけ日本海側の地域では大雪となっているとTVでも報じていますが、皆様のあたりは如何でしょうか。

 私は京都在住ですが、お正月から金閣寺が雪景色となったのも何年ぶりでしょうか。もちろん低山ばかりですが近在の山々もほとんどが頂を白くそめあげてくれているようです。

 雪の金閣寺

 ほんとうに最近は温暖化のためにどんどん降雪が減少しています。やはり冬には雪がつきものでないと人間生活にも支障をきたすことでしょう。

 「春は森の小川の川面に写す木々の花々、目に眩しいほどの青葉が重なり合う初夏の風景、錦織りなす晩秋の紅葉の山肌、そして一年の最後に登場のあたり一面白い雪化粧が続く冬の風物詩」このような情景が日本人には悠久の時よりそれはそれは長く長く続いてきたのですが、現代のこの国はどうでしょうか。

 なぜに日本の生活様式が大きく変遷してしまったのでしょうか。昭和30年代からと言われていますよね。人々が木々を燃料や建築資材などに利用しなくなってしまい、里山に人が出入りしなくなってしまいました。
 焚き木を集めたり、植林の間伐もしなくなりました。もちろんマッタケも出なくなってしまいました。また樹木、特にナラやカシ類の広葉樹がカビに侵されて集団枯死する現象が方々に拡大しています。そんなことから樹木の果実も減少し、動物達の食害が人間生活に大きく影響しています。

 このように自然界も相当のダメージが進行し、人類の未来も決して安閑としている時代ではなくなっているのではないでしょうか。

 そんな時代に生きる我々は政治を読む眼力はいわずもがなですが、自然界とりわけ森林の世界も地球上先進国の中でフィンランドに次ぎ2番目のわが国は国土に占める森林の割合が68.2%も占めているのです。
 このように多くの森林面積からの恵みを享受することのない生活をしようとする思考は考えなければなりません。

 はからずも今年は「国際森林年」でもあります。是非兎年の今年こそ、山を歩けばあちこちで鹿でなく、可愛い兎の飛び跳ねる里山となるような自然にしていきたいものです。。。

 

   

      春はそこに         H23.2.28

 いつもの年のようにそこまで春の訪れが近づいてくる2月末を向えました。もう弥生三月なんですね。この頃にはいつものように三寒四温なんて言葉を使いすぎ、身も心も嫌がってはいないかと思うほどです。

 とりわけ今年が始まって二ケ月は近年になく寒波がひどく、私にとってはお陰様でしっかり雪山の中に身をおくことができました。ありがとう、寒冷前線様へとまずはお礼を述べましょう。

 そうです、これまで低山の雪山遊びにはスノーシューも会社のもので間に合わせていたのですが、というより雪遊びまで個人山行としてはほとんど出かける気にはならなかったものですが、今年はなぜか身体の望みが雪を求めたようです。
 そんなことから単独行の雪へはどうしてもMyスノーシューが必要となってやむなく手に入れるハメと相成りました。ツールも身近にあれば、雪をみるとそれ山だとの動きとなりまして、スノーシューをもう10回を越えるほど履くこととなりました。

 お陰様で無茶はやっていても今のところアクシデントは起こしてはいません。でも今冬もまだまだエンドではないために今後も十分なる注意は必要だと心しています。

 どうやら今週もまた戻り寒波がやってきそうです。またしても湖西、湖北に余呉へと足しげく通うこととなることでしょう。でも私の思いはやっぱり早春のお花からがほんとうの山歩きとしたいなとの思いが強いようです。

 そうです、伊吹のセツブンソウに出会えるのを心待ちにしている私と、スノーシューで白銀に招かれて歩き回る身との葛藤が続くこととなるのです・・・。

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いよいよ冬日到来です   R2.12.21

 吹く風や朝の水の冷たさも身にしみる日々となってきたようです。そして、七十二候の中には「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」という言葉もあるように、本格的な冬の到来で外へ出るのも嫌になりそうです。

 ところで、本日は2020年の『冬至』の日ですね。この日は言わずと知れた24節気の一つで、1年で夜が最も長く、そして一年中で昼が一番短い日でもあります。

 しかし、このような寒さとなりますと「冬至の七種」といわれる食べ物が身体によいと聞きます。その食材の七種とは次のとうりですね。「・なんきん ・れんこん ・にんじん ・ぎんなん ・きんかん ・かんてん ・うんどん(うどん)」です。これら”ん”の2回つく物を食べることで「運」を更に呼び込めると言われているようなんです。爆笑

 さらには、こんな話もありますね・・。冬至のカボチャといって、それは神代の昔からの逸話でしょうか。冬至にかぼちゃを食べるのは、脳卒中や風邪をひかないとかいわれ、風邪等への抵抗力をつけようとした先人の知恵でしょう。もちろん、人間様の願いはこれ・・、金運を得たいとの誰もが願うことから、それには南瓜かぼちゃを食べれば金運間違いなしとの、時の主よりお達しがあったのでしょうかね〜。。

 もうひとつ、大昔に母親に習った言い伝えに、冬至にはユズ風呂に入れ!との慣わしは毎年今でも励行しています。それは、寿命が長く病気にも強い柚子の木にならったのでしょう。無病息災を祈る風習は多くありますが、とりわけユズ湯は風邪予防にも効果が高いようですよ・・。

 いずれにしても、今年はコロナ禍で地球上の全ての方々が苦労しているのですが、中でも長く言い伝えられた、「冬至のユズ湯」に入って、全人類がコロナに打ち勝ちたいものであります。それにしても一日でも早くコロナの収束した来年となってほしいと願いたいものですね〜。


かぼちゃの炊いたんとユズ三個

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令和 エッセイ