京都西山 ポンポン山 ’13.12.15   

ほたる橋-立石橋-京青の森-釈迦岳-ポンポン山-町界尾根-谷筋-東海自然歩道-釈迦岳-善峰道-善峰寺バス停 

 師走もいよいよ月半ばとなってしまいました。さすがに寒くなってきましたね。今日はポンポン山にでも出かけましょう。外に出た瞬間に頬うつ風はいと厳しく、えらい日に登山靴を履いてしまったのかなぁ・・との気持ちになってしまいます。

 それにしても、怠惰な山ばかりの生活で時が流れているのをどう考えればいいのでしょうか・・・。目をつぶっていても歩けるような道ばかりのポンポン山へ歩を進めながら、寒さも忘れて流れゆく日々の展開ばかり、あ~だこ~だとグルグル目まぐるしく、あれやこれやと思っている我が身にフッと返るのは野鳥の声が飛び込んできた瞬間くらいでしたでしょうか・・。そこにはもう壊れかかっている丸太並ぶ第一ベンチあたりでした。そのすぐで今年何度も楽しませてもらえたアオハダの果実の名残りが寒そうに揺れていました。

 その後もクリンソウ地近くのケケンポナシの落ち葉や、散らばっているその実を見るなどしたのですが、あまりに高木すぎてここでは観察に適さないのが悔やまれます。この種の適度な高さで見られる北山の地に来年の花時である5~6月ころの予定に加えることとしましょう。

 

     
 落ち葉がケケンポナシ、実はカラスザンショウ   ケンポナシの果実はこちら10/14北山で撮影
 『お詫びと訂正12/18』
Aさんより画像の誤りのご指摘をいただきました。ありがとうございました。この頃ボ~ッとして何気なく書き間違うことがよくあります。今後ともチェックのほどよろしく願いますネ・・・汗、笑

 当日、ほんとうのところはあのあたりでケケンポナシの葉のことばかり思って歩いていましたので、そばに落ちていた実を、つい、うっかり間違えて書いてしまいました。↑左画像の中の落ち葉(左表、右に丸まっているのが葉裏)は正しいのですが、写っている果実はサンショウの仲間のカラスザンショウの実でした。お詫びして訂正させていただきます。
 なお、↑右画像を追加します。こちらはケケンポナシの仲間のケンポナシの果実です。まだ枝についていた頃に撮ったものですが、カリントウのように見えているのは果軸です。その果軸の端に球形のものがついているのが果実です。カリントウのように見える果軸部分は食べられます。

 

 さて、京青の森の四差路には、以前から見ている行方不明のチラシがまだ張り残っています。相当長い月日が経過していますので、あまりにもお気の毒なことです。早く見つかることをお祈りしましょう。やはりこのような里山歩きでもバカにしてはなりません。歩くルートは最低でも家族にきちんと分かるように書き残して出てくることです。とりわけ単独で山歩きする人の必数条件と心得ていただきたいですね。

 あたりの木々はもうほとんどが落葉してしまっているようです。果実もソヨゴがいつもの年と同じで、まだまだ赤い実を長い果柄よりぶら下げています。家を出るころには青空だったのですが、歩くにつれて白くなった空を見上げるといつ降ってきてもおかしくない模様となってきたようです。やや、これではそうゆっくりできないなと、吹く風の冷たさにパーカーの襟を立てながら、必然的に歩幅の回転が早まるのでした。さすがに木々の冬芽にまで目をやるほど悠長な歩きとする訳にはいきません。

 それでもいつものように、歩き始めて3時間足らずでポンポン山頂上到着でしたが、いつでも見える愛宕山すらガスで見えなく、指呼の間の小塩山が見えるだけの北方向でした。。お昼にはやや早いのですが食事としましょう。

 

 寒いのでしょうか、どうりで日曜日なのに人影はそう多くはありません。こちらはすぐにしっかり着込んで防寒対策です。さすがにこの時期ともなれば山の上はこの上なく寒さ攻めとなります。何枚ものレイヤリングで重いのを辛抱した甲斐がここにきてよかった~!、との気持ちでした。さぁ、昼食としましょう。

 頭の上のカマツカですが、11/23にあれだけ鈴なりだった赤い実は残り少なくなって、それも枯れかけています。これでは期待していた小鳥たちもやってこないでしょう。そんな様子を眺めて食事をしていますと、ぞろぞろといろんなスタイルのハイカーが集まってくることとなりました。
 さすがに日曜日です。年代も千差万別です。でも今日の寒さに閉口したのでしょうか、やや山ガール、山ボ~イの年代が少な目と見受けました。それに比べて中高年の年代が寒さにはやっぱり強いのでしょうか。元気な人たちが多いですね。誠に結構なことです。

 ところでびっくりしたのは、静かによく見ていると全くの空身で杖だけで比較的薄着に見えたのですが、そんな身なりで上がって来ている人たちを何人もひき連れたグループらしき人たちも賑やかでした。やがてすぐにお~寒い!と大声で叫ぶように誰かれなしに声を出しているのです。リーダーらしき方はどうしてるのかと注意深く見ていると、さすがにそれなりの大きさのザックを担いでいましたが、叫ぶ人へのケアーもする様子もなく、仲間としゃべっているだけのようでした。

 私はパーカー、ネックウォーマーなどのレイヤーでほとんど寒さに参るほどの感じのしない状態で、のんびりと食事をつまみながら周囲を傍観していたのです。でもこの寒さであっても、普通誰でも登りにはそれなりの汗はかいてきているはず、体温が上がった状態で山頂に到着しています。
 しかし、そこそこ展望のある頂上には風はつきものです。そんな状態の山頂でピタッと身体の運動を止めることになるわけです。このような状態なら10分もたたない内に体温は見る間に急下降してしまい、体温が冷え切ってしまいます。それからあわてて防寒具を取り出しても体温の戻るのには大幅に時間がかかることを知らないと困ります。

 気の毒に、見ているとそのグループの方達は心配していたとうりの現象が起きてしまいました。相当高齢のように見えましたが、5人ほどおられたのでしょうか、みな寒くて寒くて声も震え、身体も震えて足をバタバタ地を踏んでいます。そのような様子に初めてリーダーらしき方が気がつかれ、すぐに下山しようと大慌てで降りて行かれましたが・・・。後で遭難騒ぎとならないでほしいのですが・・・

 申し訳ないのですが、私のこの後の行動予定は反対側へのコースとりでした。彼女たちのその後の様子は分からなかったのですが、あのような装備でこの時期のような寒さの中をハイクしようとするリーダーにも責任重大ではないだろうかと考えながら食事を終えるまでにも、上がってくる人、下山にかかる人があるのですが、彼らハイカーの群れは決まって同じような目的を持っている人形のような形に見えるのでした。

 私もそろそろ彼らと同じように、あたかも寂しそうに下に目を落としながら山頂を後にし、先ほどの彼女らとは別道の南側へ降ることとしました。わずか678mという里山ですが、相当の温度低下となるような自然の中を徘徊するには、それなりの装備の必要性を知っておきたいものだな・・と心の中で繰り返すようなつもりで階段に足をかけるのでした。。

 頂上を辞してからは島本町と高槻市の境界線どうりの尾根を林道まで降ります。この道も相変わらずの急下りが最後にあります。さすがに降り道ですからなんなく林道に降り立ちますが、あれだけ山頂では寒さがあったのにもう汗じみていました。
 そして少しその林道を上がってから堰堤のある谷筋に入ります。この谷筋も先ほどの尾根筋と同じく、全く人と出会うことなく東海自然歩道に押し上げることが出来ました。でも尾根も谷にもとりたてて見るべき珍しき樹木なども見当たりません。

 尾根と谷筋を50分ほどで下って登ってをやって、東海自然歩道歩きの後に杉谷への分岐から釈迦岳方向に進みます。そして釈迦岳すぐ先からまた、マイナーコースの善峰道(仮称、笑)を降りましょう。このルートも人の入りはほとんどないようで、倒木、枯れ木がまたぞろ散乱しかけています。
 実は1年前から今年の初めにかけて片づけたのですが、いずれまた手を入れる必要が出てきそうです。ここは釈迦岳先の降り口から杉谷集落下の杉丸太橋まで半時間ほどで降れました。ここの橋の袂に立つ関電柱には善峰60の札がついています。この後の善峰バス停まで車道歩きですが、半時間ほどで着きますからJR向日町駅までバスに揺られることとしました。


丸太橋手前からの写真、渡って右折が善峰へ
下り、左折が杉谷集落へ向かいます。 
   

 今日は8時過ぎに家を出て善峰バス停には14時24分発に間に合うように歩くこととしました。それにしても6時間ほどの寒空の一日でした。

 『以下追記12/16』
 このページUp作成中の昨夜21時ころに皆子山でのボーイスカウト遭難により、我がHPを見た某大手新聞記者より「皆子山の登山道などについて教えてほしい・・」との問い合わせがありました。登山届も未提出のようで、まさか「足火谷は先の台風18号で荒れているようなので入らず、子供さん連れなら多分最近よく利用される東尾根利用ではないでしょうか?」など、他のルート等も説明しておきました。朝に新聞、TVで「深夜に下山」との報道にホッとしました。
 この行動はやはり、この時期の寒さ、積雪や難路など問題ありのコースどりとした企画に問題があったのではないかと考えます。しかし、何はともあれ無事下山できたのですから、今の時点では子供さんたちへよく頑張って行動できたねと労いたいですね。それにしても学生の若いリーダーさん、大変お疲れ様でした。

ホームヘ