京都市街地の紅葉あれこれ ’13.12.4

 今年の紅葉の締めくくりとして市内の巨樹などの残り紅葉を山とものTリーダーのもと、ほぼ2万歩ほど歩き回りました。最初は国際会館から大文字送り火の火床でもある松ヶ崎東山(大黒天山)へちょっと上がって見ましょう。

             
松ヶ崎東山途中より比叡山の眺め     大文字送り火「法」の火床    松ヶ崎大黒天は散り紅葉   北山通りより送り火「妙」の火床 

 松ヶ崎東山は186mの丘の上ですからひと登りでした。一番高いと思われる地あたりにはネジキ、ソヨゴ、コナラくらいだったでしょうか。京都市が手をいれしっかりと整備されていますから、明るい雑木林となっています。また、わずかに下がって大文字送り火「法」の火床より、南東からの大文字山、南西方面の天王山からポンポン山、小塩山に山上ケ峰あたりまでの西山連山が囲む市街地を俯瞰しましょう。市街が大文字山からポンポン山あたりまで低い山並みにほんとうに囲まれた盆地のようすがよ~く分かりましたが、逆光に霞んでいて写真でははっきりとは撮れませんでした・・・。

 この火床を降って松ヶ崎大黒天でお参りです。こちらの本堂前の「なで大黒」さんを撫でた手で、自分の悪い箇所を撫でるとよくなるとされているようですから、足を撫でることでこれからも末永く山歩きができるようにとお祈りしました。このお庭も散り紅葉となって見事な雰囲気でした。北山通りを植物園へ向かう途中では送り火「妙」の火床も見えました。

 植物園では植物生態園を中心に園のボランティアガイドAさんによる葉で分かる樹木の同定について、1時間半にわたって案内をしていただきました。私も久しぶりの来園だったために楽しく説明を聞かせていただけました。なお、この時にも話のありましたが植物はどうして紅葉するのか?についてはこちらで私も解説しています。
 昼食後には台湾原産のマンサク科フゥの大木紅葉が見物できましたが、それは見事の一語でした。

     
こちらは互生ですが、カエデの仲間は
みな対生なのが大きく異なる点でしょう
右の葉を見るとあたかもカエデのようですが、これがマンサクの仲間なんですってね~フゥーん 笑 

 この後は鴨川左岸沿いをそぞろ歩きで下鴨神社です。まずは糺の森をうろうろしましょう。まず、糺の森とはウィキによりますと次のような解説があります。

糺の森は下鴨神社の境内にある社叢林である。賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林で、およそ124千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積がある。森林の全域が1983年(昭和58年)に国の史跡として指定を受け保存されている。また、1994年(平成6年)には下鴨神社全域が世界遺産に登録されている。」

 朱塗りの鳥居と並んで立つ大高木のイチョウの紅葉が映えています。

 
この鳥居は明神鳥居といい、もっとも一般的な様式でしょう
   

 そして糺の森へ入れば鬱蒼と茂る常緑樹の古木続く中を、真夏の土用の丑の日に執り行われるみたらし祭(みたらし池に足を浸し無病息災を祈願する)の池まで進み、本堂からはこれより新緑の5/3の流鏑馬神事の行われることで有名な、馬の駆け抜ける馬場をゆったりとあたりの紅葉の景色を楽しませていただきました。

     

 続いて京都御苑にまいりましょう。ウィキによる概要は次のとうりです。

明治天皇とともに、公家が明治2年(1869年)東京へ移った後、公家屋敷などが広がって公家町を形成していた京都御所周辺は大量の空き家の町となり荒廃した。この状況を嘆いた天皇は、明治10年(1877年)御所の保存を命じた。これを受け、京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去して整備したのが京都御苑の始まりである。昭和24年(1949年)には国民公園として広く開放された。現在は京都御所、仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁が、20054月に開館した京都迎賓館は内閣府が、それ以外は環境省が管理している。

 こちらも広大な敷地内で迷いそうです。広場にはあちこちでイチョウやカエデの紅葉がまだまだ見られる状態でした。

      

 最後に案内していただきました京都御苑の境内社厳島神社には、蚕ノ社の三柱鳥居に北野天満宮の境内社伴氏社と共に「京都三珍鳥居」の一つといわれる唐破風鳥居に出会うことができました。この鳥居の形式は笠木と島木が唐破風の形をしており、国指定の重要美術品となっています。
 なお、蚕ノ社の三柱鳥居はこちらのページの最下段で取り上げていますからどうぞご覧ください。また、北野天満宮の境内社伴氏社はお参りしましたらUPさせていただきます。

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