京都西山 北松尾山から保津川下り旧舟曳路 '12.11.28

 

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 今年も舟曳路を歩いてきました。いつもと異なるのはトロッコ列車保津峡駅を経由せず「山と高原地図」どおりの対岸の書物岩方向へ向かう北尾根を下るルートをとったところでした。この部分はやや踏み跡薄いのですが、尾根を外さずに歩けば進むことができ、稜線から下りにかかる手前あたりからしっかりとした道が現れますのでなんとか舟曳路の本線に合流可能であります。
 トロッコ列車保津峡駅から歩き出すと最初に岩場の激下り箇所のロープ場一帯がやや危険なために、今回ルートの方が前半の危険個所の回避ができ、このルートは比較的危険個所少なく歩くことができます。舟曳路はどうも?と自信なき方にはお薦めルートではないでしょうか?

 さて、歩いた順に綴ってみましょう。まずは竹の寺ともいわれる地蔵院に立ち寄ってみました。すばらしい景観です。調べると「1368年(応安元年)、室町幕府管領を務めた武将細川頼之によって創建された。南北朝時代には勅願寺となって寺運も興隆したが、応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた。江戸時代中期に中興され、江戸期には天龍寺に属した。もとは臨済宗に属していたが、1968年(昭和43年)に独立して単立寺院となった。」とウィキにあります。

地蔵院
 

  地蔵院の後は苔寺前のバス停より京都一周トレイル西山コース51番から逆ルートを松尾山へ向かいます。わずかなアップダウンを40分ほどで渡月橋上の松尾山到着、そして北西の展望台からは京都市街や愛宕山が見られます。説明は画像をクリックしてご覧ください。

 33番から京都一周トレイル西山コースに分かれて西北の嵐山に向かい、最初に展望が開ける地を踏んで、北に進むと松尾山から25分ほどで疎林の中の嵐山に着きます。また15分足らずで次のピークである展望のない烏ケ岳でした。

嵐山 烏ケ岳

 烏ケ岳から半時間ほどで本日の高み北松尾山に伐採地の中を登り上げます。といっても482.6mの低山です。笑、、、ここも見通しないですね。なお、北松尾山の山名は最近の山と高原地図によれば「山上ケ峰」と記されていますが、地元人として従来から呼称されていた「北松尾山」としています。別名「嵐山富士」とも言っていますが・・笑
 引き返して北向きの尾根を下ると松尾谷林道終点ロータリ地に降ります。ここからは愛宕山や牛松山が見え、一本立てるのに最適箇所です。

北松尾山の三角点 山名札 林道終点地

 さらに急坂を下ると以前作業小屋があったのですが、近年片づけられ跡かたもない広場を過ぎると、道が直角に左折しながらの降りてトロッコ列車保津峡駅に向かいます。しかし、今回は左折箇所を直進します。でもこの後の北尾根は最初ほとんど道はないのですが、わずかな踏み跡が見え隠れします。稜線を外さずに進めばやがて道が出てきて、稜線を下りとなってやがて舟曳路の本線に合します。

 この後の道は何度も歩いていますので、のんびりお昼を食べながら河原に降りて下ってくる保津川下りの船のお客様たちと手をふって交流します。みなさん、こちらから手をふると必ず同じように笑顔で手をふりながら答えていただけます。そして残りの紅葉景色を楽しんでおられます。
 船頭さんがこちらの姿を見てお客さんに「あれは猿ではありませんネ、あの方は3900円(船代)を儲けていますね」と笑わせているのも聞こえました。さぁ、こんな風景でした。(画像をクリックして説明をご覧ください。)

 そしてコンクリートで固めた堤防が出てくると、その後に短い橋が2ヶ所あってゴールの近づいたことを知らせてくれます。右上に星のやが見えるとゴールインです。舟曳路本線に合流地点以降の歩き部分は昼食を含めて11:40から13:20までの1時間40分でした。なお、前半の阪急上桂駅から舟曳路までは3時間でした。

 もっとも画像はほとんど危険地帯は写せません。というより岩場の河原だけしか撮っていません。中には河原を進めない箇所は山の斜面を巻かなければならないのですが、この巻き道が箇所によってはほとんど消えて(いろいろな箇所を通過するために道ができないのです。)しまっているところが多くあります。時には今にも滑落しそうな細い道も多数あります。そのようなことから山慣れない人には少々危ないかもしれないことをご承知ください。

 さて、最後は嵐山の観光客の姿を見れば、こちらも・・との気持ちが働き、今回は大改修を終えて今月から観光受付が始まった嵐山大悲閣千光寺を訪ねてみようとわずかな坂道を上がります。 ものによりますと次のような説明がありました。
 「大悲閣は禅宗寺院で、角倉了以(1554-1614)が、 河川開墾工事に協力した人々の菩提を弔うため、 嵯峨中院にあった、千光寺の名跡を移して、 創建したものです。角倉了以は、大井川、富士川、 天竜川、高瀬川等の、河川開発工事を行い、 又豊臣秀吉より朱印状を得て、海外貿易を行いました。
 晩年は、この大悲閣に隠棲し、慶長19年(1614)7月、 61歳で亡くなりました。本尊の千手観世音菩薩は、 恵心僧都(源信)(942-1017)の作と伝えられ、 了以の念持仏でした。尚大悲閣とは、 観世音菩薩像を安置した仏堂をいいますが、 特に、この千光寺のことです。了以の像は、法衣姿で石割斧を持ち、 片膝を立てて太綱の上に座し、 今も川の安全を見守っています。 」

 松尾芭蕉 「花の山 二町のぼれば 大悲閣」

 来年5月には角倉了以400年忌が予定されているようです。みなさんもともどもに応援いたしませんか。   

 これで帰ろうかなと思っているとそうだ、蚕ノ社の三柱鳥居を拝みに行ってこようと思い出しました。嵐電蚕ノ社はすぐで、参道には立派なコンクリート製の明神鳥居、そして木嶋神社には木製で貫も角でなく丸い神明鳥居、そして圧巻は京都三鳥居の一つ、三柱鳥居(みはしらとりい)です。

 しかし、調べてみるとこの三柱鳥居についてはあまりに神がかりなような話が諸説ありすぎて、どうも無神人のわが身にはあまり取りつかない方が無難なような気がしてきてしまっています。そんなことから多くは語らないこととしましょう。いずれにしましても三柱鳥居が珍しく、その鳥居を拝めただけで納得としましょう。

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