比良 神爾谷から武奈ケ岳 '13.2.28 晴

 今月17日のリベンジ山行であった。お天気はすばらしく、気温も暖かくなって3月末の陽気だったようだ。計画どうり北比良いや比良山塊屈指の難路として知られる神爾谷から奥比良いや比良山系の盟主でもある武奈ケ岳に登って、下山は昭文社の山の地図にすら書かれていない比較的人の入り少ないコースである雪の急坂を細川へ下るという行程であった。できれば前回の2/17レポで写真や時間それに雪の状況などを比較しながら見ていただければ違いが分かることであろう。

 さて、前回と同じ電車でJR比良駅(6:35)を歩き始める。天満神社はもう灯明は灯ってなく、11日前の前回2/17とは夜の明けるのが早くなったことを知らせてくれる。もちろんイン谷の出合橋(7:08)あたりの雪はほとんど消えて、やはりその分歩きやすくなっていた。その奥の旧リフト小屋あたりまでくると雪も次第に出てきたが、おとといの降雨によって雪は湿って重く、今日の足への負担が案じられるようになってきた。

 そして釈迦岳との分岐地点到着(7:35~45)だ。もちろん前回同様にまったくノントレーだ。ここで前回シューの装着遅れが遅延の原因でもあったので、身軽な薄着に温度調整後にシューをセットとして出発としよう。でもやはり雪の重たいのが、しっかり足に堪えることは辛い。
 すぐに神爾の滝標示(7:56)さらに比良明神の灯篭(8:01)だが、この二つの間には一か所だけ枝の倒木で無理矢理その枝をくぐる地が前回もあったのだが、けっこう身体に負担とならざるをえない。それでも灯篭あたりまでは歩きやすいのだが、いよいよ神爾谷道の右岸、左岸のあたかも自然がキバを向くがごとくの中の歩きで、整備などないに等しいルート取りの道を辿ることとなるのである。

 灯篭をすぎれば目の前に最初の堰堤が現れ、最初の渡渉の始まりといえるだろう。流れに小さな丸木を右岸へ渡るのだが、丸木より流れをそのまま渡ってしまおう。わずかに急坂を上がると最初は穏やかな気持ちのより平坦地、先の難路を知っているだけに、う~んこんな道がずっと続いてほしいなと思えるほどだ。レスキューポイントのシンジ2を見ると突如として目の前に砂防ダムの4連発が飛び込んでくる。(拡大画像は画像をクリック!)

 この手前を左岸へ移るのだが、前回はしっかり雪多く今回とは違う箇所だったがハマることなくの通過できたのだが、あの急な上りを越すのは辛いと、もう少し緩やかな上りを越そうと考えたことが失敗の原因だった。
 全般的に今回はおとといの雨で雪も相当少なくなっていることから、渡渉時にできるだけ雪の上を移ろうと乗った場所が無理であった。下は枝できっちり足を取られてしまったのだ。足元のシューが枝にかかって足は戻らない。あくせくしてようやく抜け出した時にはこれくらいで良かった、もし下がもっと深く、木が細ければこれくらいのハマりではなかったであろう。と考えるとウンザリでこの後の渡渉でも十分あたりを見わたして渡渉をやらないとほんとうに怪我につながってしまうだろうと心する一幕となった。

 無駄な脱出劇であったが、こんなことしているとまた武奈へも行けなくなってしまうと左岸を高巻くこと20分、もちろんこの間にもきつい谷渡りが左岸中にあって左の滑落危険個所随所に続くのだが、ほどなく、レスキューポイント3(8:47)のすぐ上には神明様式の赤い鳥居が二基立っているのが下から見上げられる。ここには天神社の祠が祀られている。標高800m付近であろうか、この絵を撮っている足元はもちろん切り立った場所で注意は怠りない。

 その先フイックスを頼りになんとか堰堤上部に辿り着き、眼下に「あっ、この下に遭難碑(8:52)が雪に埋もれている場所だ」と、やれやれここまで来たのかと心を鎮めるのでいっぱいであった。もちろん遭難碑らしき雪の塊に頭を下げて通過、また渡渉に足を雪に埋まる木の枝に取られないような箇所を目がけて進もう。

 ところが、渡渉を済ませると10分もしないで、神爾谷道最大のしんどい個所(9:00~15)である地と勝手に思っていた箇所が待ちうけているのだ。この地を無積雪期は丸太橋の通過にはそうビビることなく渡っているのであるが、実は今回ほど危険な思いをした経験は初めてであった。

 前回の雪は多すぎたここロープのぶら下がっている激急坂地であったが、雪多くロープはほとんど使えないくらいのために、登り上げるだけでもう大変であり、上がってすぐ2m弱の丸太橋は雪の上に前の二人がワカンで乗っても崩れることもなく、その雪の状態からこの上を3人目としてそこに乗って通過したが私はそう足元を心配なくクリアーしたのだ。
 そして激急坂の今回はロープが一部使用できるほど前回よりは雪が少なくなっていたので、前よりは上がるだけの苦しみはそう苦にはならなかった。問題はその後の丸太橋部分の通過で過去の登山における経験上で最大急の肝を冷やしてしまったのである。

 この丸太橋の下は堰堤のある崖の切れ込みの狭間であり、岩場がむき出しとなってほぼ10m近く落ち込んでいる危険個所となっているが、2本の丸太が渡してあり左側の木にロープが設置されているのだが、このロープ使用もやや宙ぶらりん状態で、心もとなく私は過去このロープは手で掴んで渡った覚えもなく極めて不安であったが、今回は丸太にカブっている雪に足を乗せようとするとバラバラっとすぐに崩れるくらい柔らかくなっていた。もちろん二本の丸太は間隔が広いために同時に使えないために、1本の上を通過することとなる。

 問題はその雪がなくなって濡れた丸太だが、渡る前方向側に少し傾き濡れているためにズルズル滑りそう。これはダメだとすぐにシューを外し、アイゼンも止めて靴だけで渡ることに決心である。左丸太に足を乗せて第一歩を動かそうとした瞬間にもうズルズルっときてしまい、もうたまらなくなって左のロープにしがみ付いたのだが、足は片方が外れてしまい、一瞬もうこれでダメかと思ったのだが、右足が反対側の丸太の付け根に引っかかって残っており、なんとかロープに助けられて先の地へ這い上ることができたのだった。

 この場所下の激急坂登りはほとんど危険ではないのだろうが、2本あるその内の1本で丸太を渡ることが大変な危険個所で、神爾谷を登りに取る場合の最近の冬場では最大危険地となっていることを比良へ登山する人、いや、神爾谷に興味のある方々に恥を忍んで知らせたい。
 今後この地での新聞沙汰とならないように祈るばかりである。このような危険個所のあることを特に頭に入れてほしい。もちろんロープ、スリングにカラビナなども持参しても渡る先への取りつけにも限度がありそうな場所でもあるのだ。とにかくこのルートへの入り込みをあきらめ、冬場の神爾谷道歩きは断念した方がよさそうだと重ねて忠告しておきたい。

 ただ、今回使えなかった反対側の一本は滑り止めの細い横木が乱雑に打ち付けてあるのを通過後に思い出したが、この谷を降りに使用する場合には左側の丸太使用ならどうにか通過が可能かもしれないが、いずれにしても危険は十二分にあり、止めた方がいいのには間違いない。
 なお、それなら今回もなぜ右側の丸太をどうして使わなかったのかと言われると、雪がかぶっており渡る側からは遠く、雪を落とすには届かなかったのが、左側丸太を使った理由であるが、たとえそうしていてもその横木に足が届くまでに滑り落ちていただろう。でも今回の反省点としては右の滑り止めの横木をどうにかして掘り出す努力をしなかったのは事実である。

 それに、もちろん今回初めて見たのだが、二日前くらいだろうか、谷のあちこちで雪崩が発生し、その・な・だ・れによって堆積した雪塊の残骸であるデブリが随所で見られ、もしこんな雪崩に遭遇してしまったら、命の保証はないだろうなと思いながら、やや固まったデブリの上を踏みつけ、今日はもう雪崩は起きないだろうなと心にいい聞かせて、上方を目指していたのであった。もちろん気持ちの悪いことこの上なかった。

 


 表現はやや現状とは乖離しかけているのではとは思うのだが、老婆心ながら「1997年発行の旧昭文社エアリアマップの山と高原地図」には次のような注意書きもある。

『神爾谷のコースは、そのルート通りにたどってもガケ崩れなどで寸断されている所が多く、かつ現在も進行している。従って落石も多く、また迷い込むと転落事故を起こしやすい所でもあるので、初心者はもちろんのこと、的確な判断をくだせる自信の無い方は是非やめて、違うコースをたどっていただきたい。』


 なお、近年は道標等目印となるものこそ上部に小さな谷への分岐点であるオニギリ岩のある地に赤い「←←←登山道」と左折を促しており、その上にも昔のしっかりとした道標が残っているが、それ以外にはまったく道標等はなくなっており、あるのはテープ類がわずかにあるくらいだ。
 そしてここ2~3年前には岩の表面に「○→」の印が誘導等では一番新しく赤ペンキで書かれているが、これとてもまったく初めての方には見つけるには微妙な状況であろう。そしてレスキューポイントはシンジ1~4まであり、この標示に出会えば道を間違っていないことが分かってやれやれといった気持ちになれることだろう。

 さて、元に戻ってこうした危険個所を命からがらで通過後はもう安心である。オニギリ岩(9:48~58)でようやく一本立てて行動食に水分補給をばっちりで、腕を覗いてう~んこれなら今日は武奈へは大丈夫だと気持ちにゆとりもでてきた。
 そして左へ小さな谷を登りすぐに見える右への道標のある本線には向かわずに、いつも利用する左への道に這い上がることとしよう。こちらはやや登り急だが、危なさはそうなく私は登り時も降り時にもこちらばかりを利用している。

 蟻地獄の奇岩群を見上げてしてやったり、ひとりっきりで神爾谷を制覇したぞ!!、と前回湧かなかった感動で、どこまでも広がっている群青色の空がこれまたうれしい。でも昔の蟻地獄の写真を見ると現在よりずっと猛々しい尖った岩峰が無数に映っているのだが、それに比べて現在の蟻地獄はそんなに尖っているようには感じない。もともと花崗岩の風化によるものらしいのだが、その岩峰も知らぬ間に少しずつ消えて行っているのだろうか。でもそんな蟻地獄のたおやかさは比良の中ではまれに見る奇岩の容姿といえるだろう。

 今日は下の谷の丸太橋地で死に損ねたために、こんな蟻地獄くらいで滑落死とのニュースはいただけない。やっぱり安全を求めて左側の斜面をゆっくりのそのそと上がってダケ道合流(10:25)であった。この時刻は計画の10時半から11時までにダケ道合流点どうりであった。ダケ道合流地にいつ着いても、やった~ようやく登り上げたとの気持ちの湧いてくる場所でホッとしてくるのだが、今回の感動はいつにもまして大きなものがあったのだ。

 ここからは以前のトレース跡がはっきり残って楽に北比良峠に到着(10:32)であった。北比良峠には前回17日の記録より偶然にもぴったり2時間遅れの到着であったのには思わず笑ってしまった。やっぱり足元の深雪のさらさらパウダーだった前回のラッセルと、今回の降雨後の緩んで重い雪だったとはいえ、残雪状態が相当浅くなって歩きやすくなっていたのが、今回これだけ早く到着できた原因ではなかろうか。

 とりわけ今日の神爾谷は雪のひとりラッセルで登り上げたのだからルンルン気分いっぱいである。この後もやる気満々ですぐのケルンのここでも足も止めずに、青空をバックに白銀に輝く武奈の頭を射程に入れただけで八雲ケ原へ降ろう。15分で八雲、そこには黄色い一人用のテントが、旧スキー場スロープ向きに、あたかも白銀を招くように風になびいて主を待っていた。

 この景色を見ながら次の目安はイブルキノコバまで行こう。ここの峠(11:04)に来てトレースは右に広谷へ向かって降りていることから1本などやめよう。おっ、これはやばい、広谷から北陵へは時間のロスだ、やっぱり予定どうりコヤマノ分岐から武奈へ向かうのだと言い聞かせて、トレースのはっきりしない尾根を前進だが、これがまたけっこう足にきた。
 20分ほどで大きなブナの木に疲れを癒されて、それでもブナの大木横に立つ道標のコヤマノ分岐(11:57~12:00)にはイブルキノコバより1時間ほどで着き、樹林の先に白々としている西南稜から武奈ケ岳への山体がどっしりと座っているのが目に入ったのだ。

 ここで直下の急坂をアイゼン使おうかと考えたが、イヤ待てよ、今日の温度とこの湿った雪ならアイゼンは利かないだろうから不要だ、とシューそのままで登頂となったのだが、急坂の真ん中あたりまで登ると見事な武奈の頭や東側の雪庇が見事だ。
 思わず見とれて急斜面ながらデジタイムである。今年はこのような白銀の地に何度足を踏み入れたのだろうか。健康に大きな感謝が両親を思い出させてくれた。ありがとうオヤジにオフクロさん・・・

 分岐から20分で平日なのにお天気もいいことから山頂(12:20~13:00)には何人いたのだろうか。360度の青空広がって伊吹に白山がきれいだ。もちろん高島トレイルの一角の三重嶽などの山並みも白さが続いて広がっていた。
 ひととうりの山座同定を終え、腰を落として弁当を広げよう。前回の2/7は雪の少なくなった細川からこの頂へ上がり、その時には天候もよくなかったこともあって、まったくの一人ぼっちの山頂で「まいわし」を焼くという突飛な行為で昼食としたのであったが、今日の暖かい小春日和のような山頂では人もあり、大展望もあったりしてすばらしい山頂の憩いに食もうまく、2月では最高の山日和となったのであった。

 食事を終え、あたりの山並みを眺めていると、山歩きの知り合いの方が西南稜から登って来られ、しばし談笑して「同じ細川尾根を降るが置き車があるのでゆっくり昼食します。」とのことから、こちらは前回の2/7とは雪の様相がまったく異なることにより今回は降りなので、それはそれで景色も違って見えることだろうと期待しながら降り始めた。

 しかし、前回7日の樹雪の見事さが今回の暖かさでまったくなく、前回にはトレースもほとんどなかったが今回は今朝ほど登ってきた踏み跡があったりして、ルーファンの面白みもまったくなく、とりわけ登りの谷での死に損ないをやっただけに、こんなにずっと樹林帯ばかりの中の尾根を、ただやみくもに急斜面を降るだけの変化なく単純でつまらない降り道にはがっかりであった。

 

 それでも706地点(13:50~14:00)の平らな地まで降りてくれば、この尾根の急坂ももうお終いだろうと、ここでのんびりゆったりしよう。イヌシデ、ミズナラにカエデの並ぶあたりで、樹間に釣瓶岳を振り返って見ながら、そろそろ今日の山歩きも終わりが近づいているようで、一抹の寂しさを感じざるを得なかった。

 そしてバス時刻15:37の関係からゆっくりのんびり降り、直登道でなく左への巻き道を降って、鉄塔のある電線をくぐってすぐの登山口(14:40~55)で、ここなら誰も居ないから着替えも気兼ねなくできるだろうと、一本立てながらのんびりとしたものだった。

 そして細川バス停に降りてバスを待ちながら、入念なクールダウンのストレッチをやっていると、あたりのお年寄りが何してるの?、と怪訝そうな顔して眺めていたが、ほどなくやってきた予定どうりのバスに乗り込み、いつもの学校の生徒達が乗ってくるまでの間はオンリーワンでJR堅田駅へ向かったのである。

ホームヘ