比良 神爾谷から北比良峠 '13.2.17 曇り

 頃は雨水、雪が解け出し雨が降り出すころという季節の変わり目である。直近の寒波による積雪もそう心配なかろうと読んで、比良の谷筋では名うての神爾谷から武奈へ登って細川尾根を降り、江若バス15:36に乗って帰ると、昨夜に登山計画書を家族へ手渡しながら話して今朝は暗いうちから出かけてきた。

 JR比良駅を6;40に歩き始めた。もちろん、駅のプラットも雪で白くなっているが薄らで、これなら前日あたりの寒波による谷あいの降雪もそう多くはないだろう。まだ灯明代わりの明かりが灯る天満神社で安全を願って手を合わせ、イン谷口出合橋には普段よりややかかって40分で着いた。(7:20)

 出合小屋跡では大阪ナンバーのテン泊組4名がテントを撤収している。左折の正面谷でなく、直進してイン谷へ向おう。若者数名が準備中で「どこ登るの?」と声かけると、「堂満をやって釈迦岳に回り、この大津ワンゲルで帰ってきます。」と声も溌剌と自慢げに答えてくれた。「こちらは武奈へ登るんだ」と別れるが、その後は踏み跡はまったくなくなってしまった。

 リフト小屋あたりからの山道に入るともう雪がいっぱいで、釈迦岳分岐(7:50)あたりから次第に雪中行軍となりだし、神爾の滝標示箇所(8:08)まで来るとさらに深くなってくる。もちろん、この雪だ、滝への道は上から見るととても降りられる様子ではない。
 滝巡りはまたにして先を急ごう。ほどなく左側に比良明神の灯篭の立つ(8:14)ところまでは道は歩きやすいのだが、整備された安全な道はこれまでで、この後はそれこそほんとうの山道なのだ。いよいよ砂防ダムが見えだしてくる。

 そうこうしている間に膝が埋まる状態となってきた。そろそろスノーシューの出番だろうと装着、休憩もしよう。ところが進むにしたがって、あたりは完全な雪まみれで、道など分かりようがない状態が出てきだした。しかし、これまでの記憶を無理矢理引っ張りだしながらの行軍である。

 ここまで左岸を来たのだが左への道が砂防ダムの堰堤に乗り上げるのを見て、ここがそろそろ右岸への転換箇所ではないか。流れがまだまだ雪に埋まらないほどの谷へ下ってまた登り返しだ。この後もしばらく左岸を急坂新雪ラッセルはどこまでも続くのだった。
 振り返ると琵琶湖の近江舞子あたりだろうか、空は雲を低く垂れこめ、湖面はわずかにしか見えないではないか。今日はそろそろこの時間帯には晴れ間が広がる予報のはずなのにと不安げな気持ちとなる。近くには大きな堰堤がいくつも見え、このための高巻きを強いられているのかと、堰堤に面当ての気持ちも出るしまつだ。

 しばらく行くと岩には赤いペンキで○と←が雪に隠れてわずかに見えている。ここを少しトラバースする最後もやや注意し、フイックスの助けを借りながら堰堤へ降り、左岸への渡渉としよう。ところがこの細い流れに小木が埋まっていたとみえ、ほぼ肩あたりまで落ち込んでしまった。これには参った、シューを掘り出し、ザックをできるだけ上部へ投げ出し脱出作戦開始であった。でもこの悪戦苦闘に20分近くは要しただろうか。それでもなんとか上の高い方側に上がることができて一段落である。

 ここで休もうかとも思ったのだが、いやいやこれ以上遅れることはできないと思い直して進むと、またどう進めばよいのだろうかというような場面となってしまった。ここでハタと考えました、腕を覗くと9:30で駅より3時間かかったことになっているではないか。

 こんなに道探ししながらの歩きの様子では、釈迦岳分岐から蟻地獄を上がった地蔵さんあたりへ遅くとも10時半には着きたいとの計画だったのだから、もうすでにこの様子では無理だな、もちろん武奈へは遅くとも13時半くらいには着かないと帰りのバスが無くなってしまうのだ。といろいろ不安要素が頭を巡ってくるのだ。
 残念だが、今回は撤退としようと思って、ふと後ろを振り向くと若い夫婦が元気に登ってくる姿が飛び込んできたのだ。やっ、これはしめた!、3人ならラッセルもやれないことはないなと声をかけると、「撤退は時間的にまだ早いでしょう、行きましょう」と元気よく答えてもらったので、二人の後を追うことにしたのである。

 この後は元気な主人の歩きで、みなで直進だろう、いや右だろうなどと考えながら、やっぱり右へが正解ではないの?となって、堰堤前を渡り左岸への急登をやって、レスキューポイントNo.3を直進し、上部に赤い鳥居の立つ下を歩くのは普段なら嫌らしい歩きを要する場所なのだが、雪の着くこの時期であれば左への滑落のみ注意して、今度は遭難碑のある地へ降り立つのだ。しかし、この地も深き雪の中で遭難碑(10:28)は、どちらに立つことすら検討もつかない有様であった。

 しばらく谷の中をトラバース気味に進みながら、さぁ、こんどの難所である次のフィックスロープ地が近いはずだがと気が重くなるばかりだ。そしてようやく見上げるようなそのロープ地(10:41)だ。前を登るワカンの二人も何度も上がったり滑ったりで苦労している。
 こちらはお蔭でそんな二人の格闘中は休ませてもらおう。ようやく姿が見えなくなった。ところが自分の番になって驚いた。シューは滑るばかりで何度やっても後ずさりの繰り返しであったが、なんとか登ってその後の崩れかけた2m足らずの橋を渡ることができた。
 やはりこのような急な斜度を登り上げるには、面倒でもアイゼンに履き替えることが必要ではなかったのだろうか。横着したばかりにシューでは滑って滑っての繰り返しで、しっかり暇を取られ先行者に間をあけられる始末であった。

 しかし、このロープ地以降の歩きについては、これまでと同じような厳しい箇所はほとんど見当たらず、最後の渡渉地を左岸側へ移れば、おっ、北への谷との分岐は目と鼻の先だぞっと、急に元気が出たのだ。4分で小さな沢の合流地点(11:30)の二又へ着いた。
 ここにはあの三角おにぎり岩が雪を纏って待ってくれていた。もちろん、おにぎり岩の左側に赤い←←←印の道標も写真には写っていないがちゃんとついていた。ここを左折せず、直進して急斜面を次郎坊山へ登る人もいるが、さらに難易度は高いハズである。

 「ここで一服さしてもらいます。」との主人と奥さんへラッセルのお礼を丁重に述べ、、こちらはそのまま左への谷筋を登って行った。しかし、この後もなかなかの急登が続き、ブナや杉の大木を見ながら休み休みと登りあげて、いよいよ樹林が切れてガレた斜面に奇岩が現れてくると最後の蟻地獄である。そう神爾谷遡行の最後の詰めといえるだろう。奇岩群のあたりまで来れば、その上方の声は下の分岐から反対側ルートを詰めた先ほどの二人がもうかすかに見えていた。

 この地には風の吹きさらしの斜面で雪はほとんどつかず、シューでもなんなく歩けた。そして地蔵さん地には12:20着であった。やっぱり釈迦岳分岐から通常の倍以上の4時間半も要してしまった。もちろん、武奈には13時計画からして無理だったが、潔く計画断念しようと思った瞬間にダケ道合流で、「えっ、どっから上がって来られたんですか?」と大山口への二人連れの下山者が怪訝そうな声で聞いてきたが、「この下の谷からですよ」とにべもなく笑って答えるので精一杯であった。

 足元には新幹線のように思える道のため、すぐで北比良峠まで行って昼食としよう。本日はこれにてお終いだと、ケルン横にかけて、惨めな思いで武奈の頭を指くわえて遅い昼食(12:32~13:05)としていたのであった。寒さを感じるようになり、最後の武奈ケ岳は着いた時よりは少しだけいい頭を見せてくれて慰めてくれているように感じた。
 そしてコヤマノ岳は手前でしっかり黒々として丸い山体を横たえていたのである。でも左の前山には15名ほどの若者集団が賑やかな黄色い声を張り上げて新雪の斜面をころがるように上がり降りして遊んでいるのを見ながら、疲れ切った我が身体がえらく気怠く感じ、八雲ケ原とても遠かった本日の山歩きをフィンとしなければならないのが極めて惜しく、この野郎!との気持ちがむくむくと湧いてきていた。。。

 そして下山のダケ道をのんびりとイン谷口の出合橋(14:27)まで1時間半もかかってしまっていた。さらにJR比良駅(15:05)までトコトコと雪の消えてしまった道のりであった。さぁ、こんどはいつリベンジとしよう、でもせっかくやるなら細川尾根に雪のある時期までに計画どうりに歩き抜けたいものだが?・・・、早くお天気になあ~れ!・・・

ホームヘ