富士山の森 村山古道を歩く '13.9.29 

 西臼塚P-村山古道-中宮八幡堂跡-八大竜王水神祠井戸跡-富士山スカイライン7.8Km標識地交差
 -10.8Km標識地交差-御殿庭高鉢山P分岐-高鉢山P-富士山自然休養林歩道-遊歩道B-西臼塚P 

 今回は所属する静岡ガイド協会のエコツアー研修で富士山の森でした。7~8月の富士山への観光登山とは相違して山麓の森歩きはエコツアーに最適トレッキングでもあります。富士山といえば森林限界より上部の溶岩累々の富士山の顔がどなたにでもイメージされるのでしょう。
 富士山の数ある登山道ですが、なかでも村山古道は最古の登山道といわれていますが、その古道歩きのエコツアー研修は実りあるものであり、さらに新五合目あたりの森林限界以下の亜高山帯一帯は一般的な低山歩きとは若干異なっており、天候にも恵まれ新鮮な気持ちでのトレッキングを楽しむことができました。

 さて、今回のスタート地点は富士山スカイラインの西臼塚Pで集合です。周りにはノコンギク、ナギナタコウジュ、ミツバウツギなどが見られます。WCを済ませて道路反対側の二つ目の駐車場東側の大淵林道ゲートからエコツアー研修の始まり(10:00)です。
 林道歩きのなかミズヒキ、イタドリの名の謂れなどの説明から講師のインタープリテーションが始まります。ゲートから20分ほどで黒っぽい溶岩跡の涸れ沢が出てくるとすぐに村山古道が交差しています。これを左折すると草むらから針葉樹の森となって苔むす道が続き、すぐに中宮八幡堂跡到着でした。こちらにもトリカブト、野菊が咲き乱れています。苔むす祠の奥には咲き残りのキオンも見られます。(拡大画像は画像をクリック!)

 この祠は1400年代に八幡大菩薩(応仁天皇)が祭神として祀られるとの説明板が立っています。昔は中宮馬返しとも謂われ、女人はこれまでとしこのすぐ上にある女人堂に籠もって頂上を拝み下山したとあります。あたりにはかやぶき屋根の社屋などそのいろいろな建物が明治時代38年頃まで残っていたようですが、村山登山道衰微により崩壊してしまったようです。

 講師の話もどんどん続きます。冨士の火山の歴史は比較的新しく、なんといっても約300年ほど前の1707年(宝永4年)の大噴火の爆裂火口である宝永火山が知られています。どろどろとした流れが冷え固まった溶岩流の跡が随所に見られ、溶岩には穴は少なく表面はツルツルしているようです。またしぶきのように爆発落下の小さな砂礫には穴が多く見られ、これはスコリアとも謂われているとのことでした。このスコリアの赤色のものは火口に近いものであるようです。
 このように講師Oさんのインタープリテーションが続きます。古道はこのような火山の跡や苔むす倒木たちなど、今ではそのような山肌が自然の中に溶け込みオブジェ化して人の目を楽しませ、心地よい時の流れが静寂のなかで続いています。可愛い姿のタマゴタケも道沿いにニョッキリと出迎えてくれました・・・
 それに女人堂跡は今では更地と化して跡形には何もありません。イエ、誰かが、アッと、こんな古銭を見つけてくれた声でした。『寛永通寶』だ!・・・

 この後も植物観察なども楽しみましょう。ヒコサンヒメシャラとヒメシャラの違いやツタウルシとツルアジサイの相違点なども話しましょう。ヒロハツリバナのおもしろい果実の姿も見られました。なかでも縦長の溝が目立ち、木肌を押さえるとコルク質のようにへこむ感じがし、樹皮の内皮が鮮やかな黄色であるのが名の謂れです。
 図鑑によりますとこのキハダの内皮をかむとやや甘みのある苦い味がし、これは塩化ベルベリンを含有し、胃腸薬に使われます。また、外用薬としてねんざや打ち身にも効果があるとされているようです。岳人のFAとしては貴重な樹木であることも知っておきたいですね。笑

 下山は御殿庭と高鉢Pとの分岐を最後に高鉢P方向へ降ります。その道沿いにはマルバダケブキ、カイタカラコウが咲き残っています。さらにヤマシャクヤクの果実が異様な姿で立っていました。それにモミノキでしたでしょうか、苔むしたこの大木にはいろいろなつる性の木もからんでいたのですが、根元近くにはトチバニンジンの赤い実が、まるで自然の生け花のように見えました。

 最後はシナノキの大木立つ高鉢駐車場でWC休憩後は、時間的に樹林帯の中はやや薄暗く感じられる富士山自然休養林歩道を足早に駆け抜けて、西臼塚遊歩道Bコースから側火山跡の説明を最後として、本日のエコツアー研修が西臼塚駐車場でお開き(17:00)となりました。
 講師のOさんありがとうございました。そして参加の皆様お疲れ様でした。

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