京都北山 愛宕山 ’14.12.8 曇り

 清滝-大杉谷左岸登山口-大杉谷第五ベンチ上-愛宕スカイライン-表参道水尾別れ上-愛宕山-西南脇道-水尾-JR保津峡駅

 11月は紅葉お目当ての低山ハイキングを何度も案内しました。それも関西圏のお客様は元より、東京、九州なども含めた方ぼうの方々でした。京都北山の高雄三山から嵐山、鞍馬山から貴船神社に奥宮や大原三千院に寂光院の観光ばかりではないの?、というようなハイクはまさに紅葉三昧となりました。
 そうそう、それに滋賀県の湖東三山の歴史ある三つのお寺を巡るトレッキングなどが何度もでした。もちろん、それらに絡めた比叡山を坂本から登って比叡山延暦寺根本中道へお参りし、大比叡そして土佐日記の紀貫之ルートなども案内でした。数の面では圧倒的な参加者となりました日帰りトレッキングである京都一周トレイルの大勢参加の歩きに度重なる案内にも、終いにこちらは厭きるほどでした。もっともこの案内はまだ半分以上の回数が残っているのですが・・・。

 そんな中、ほとんどなく一部ある山の中の歩きのネイチャーガイド的な内容では、このシーズンは樹木たちの話題にならざるを得ません。歩きながらもちろん紅葉している植物たちの樹種名紹介も喜ろこばれます。そして、これらの紅葉にからむメカニズムや、質問による森林浴の効能などはみなさん関心をしめしていただけたようでした。

 さらに、巡るお寺さんの数も多すぎて案内を受ける側にとってはごっちゃになるほどの展開で、頭がうろうろするなどの声も出るほどの喜ろこびの顔が並びました。お寺の沿革など歴史は当然ながら、その寺、神社仏閣、それらの鳥居などの建築様式などの説明にもお楽しみいただけたかなとの思いです。

 もちろん、山の自然学案内などの内容には、アルプスなど夏山高山歩きや、それ以外の季節の低山歩きなど、山域によって案内内容は大きく変わることは否めません。それに参加のお客様の男女の比率、年齢層の割合などはもとより、ガイド自身の年代による案内内容の相違、自らの内容についての知識の分野、情報量等における好みが出るのも仕方ありません。

 私は文学小説はもとより山岳小説などの本類、とりわけ山への関係内容への関心度も低くはないために、周辺の山やお寺をめぐる文豪たちの小説あるいは随筆、歌碑等についてもお話しをお聞きいただくように努めており、今月もこの点について興味深くお聞きいただけたのかなとの感じとなりました。

 しかしながら、11月のハイキング、このてのツアー参加者のなんと多いことか、それは驚愕の事実ものでした。それも顔ぶれは中高年ばかりのように見受けます。もちろん年配者の方々の元気な姿の多いのも嬉しいかぎりです。中にはご自身の話によるとお元気で健脚な方らしき姿も多く見えました。
 一方、他の方からは「歩くのが早すぎるからもっとゆっくり歩いてとか、はたまた○○にはまだ着かないの」などの声も多くあるなどで、私は500mにも及ばない裏山のような低山である手前で、私にはまだその後にいうべき言葉をもっていたのですが、ここは口を紡ぐのがこの場での立場ではないのかとハッと気がつくのでした。
 できればこのようなハイクを早く卒業され、もう少し高い山へ登りたいとの気持ちを・・・との願いを込めて心でエールを送りたいとやっとのことで思い改めたのですが、真実は早いまだ~などの声を聞く度に、私の良心がちくちく刺されるように痛むのでした。あ~これが11月の案内でしたのでしょうか・・・。。



 さて、今回の愛宕山レポにうつりましょう。久方の愛宕にはやっぱり足は大杉谷左岸ルートに向きます。バスを降りた清滝(9:00)から半時間で空也の滝手前の登山口から登り始めます。最初の分岐は右に上がるのではなく、ここを左へ細い道の水平道である下り気味な道を進みましょう。


最初の分岐を左へ

 最近ところどころ土砂崩れが多いようで、足元を見ないで左右の樹木あたりを見ながら歩けば左へ切れ落ちた谷へ滑落間違いない状態と化しています。このようなルートへ入った単独行者にアクシデントが発生すれば発見には相当の時を要することとなることでしょう。でも私は万が一滑落し、帰らなくなってしまったとしても、自宅には予定ルート表を書き置きする習慣がありますので、この点は心配ないところとなっています。でも慣れない方の単独行は決してお薦めはいたしません。

 そんな荒れ道を行けば足元に愛宕山塊で多く見られるオオバノハチジョウシダが群生しています。それから10分でいつものようにひぐらしの滝へ降りて見ましょう。ここまでの道も以前より倒木などでずっと悪くなっていました。でも、元気に水音の流れを見物してから、また引き返して左岸を登り上げます。


オオバノハチジョウシダ


ひぐらしの滝

 滝見物から先へ進めば、小さな堰堤箇所を左に見て大杉谷右俣に移ってすぐ左への細い踏み跡(直進の道の方もはっきりとしていますが・・。)を追います。そして小さな涸れた支沢を過ぎてから、杉の植林帯の斜面をジグを切りながら上がりますが、樹林帯から植林帯とまったく空はずっと見られません。やがてハッキリときれいな幅広の仕事道が右から左へ下ってきているのに出合います。ここは山歩きの人ならみんな心理的に右への登りに向かうこととなります。しかし、そのような心理で進めば最後は道が消えてしまい、結果はこれまでの実績では進んだ誰もが無理矢理に高くなる尾根の斜面を登ってしまい、月の輪寺からの道に飛び出すことになって、やれやれと思うこととなります。
 でも大杉谷左岸ルートを歩こうと向かってきた人にはどうもおかしい・・?、ということとなります。したがって、道が消えたところでいさぎよく引き返しましょう。そして、さっき上がって作業道を右に上がるのではなく、左に下がるのが正しいと確認した後、それより3分で荒れた広い二俣到着です。

     
 振り向いて撮り、右から来て手前に下りが正    二俣の荒れよう、右から渡り中の尾根を右へ

 ここの広場の荒れ方は相当な感じです。昨年9月16日の18号台風時の登山道の痛みはそうでもなかったと思っていましたが、多分今年夏の台風での山道荒れが原因のようです。。このように左岸ルートの各所の痛みを十分頭にいれた左岸歩きに心がける必要があろうかと考えます。

 二俣地の比較的広い箇所の荒れもひどいのですが、ここはまだ通過にはそう難儀なようすではなさそうです。荒れというのか、それ以上に具合悪くなったことが発生していました。登山道がほとんど消えてなくなってしまった箇所が出現していたのです。それは植林帯のジグを大分やった後での、大杉谷本ルートである4番5番ベンチ桜の花園すぐ上へ飛び出す地点直前で、左岸ルートの最後あたり部分の道が消えてしまっていました。
 この原因は台風ではなく、どうやら杉の植林帯を伐採作業した結果のようです。切った杉丸太や枝などの散乱がきつく、それでなくとも従来の薄い踏み跡だった道が隠れてしまって、踏む人もないための廃道結果のようでした。

 こちらは、勝手が分かっていますので、適当に無理矢理歩を進めました。それにしても、このまま放置すれば、自然な踏み跡で道ができるのでは気の遠くなるほど待たなければならないことでしょう。せっかく過去にはツアーを起こして案内までした身にとっては、この状態を見逃すことはできません。この部分に手を入れるには時間を要するでしょうが、なんとか足を運びたいとの気持ちとなりました。さぁ、いつのことでしょうか・・・。(12/10に一応なんとか歩けるように手を入れてきました。しかし、↓の写真のような杉丸太は動かすこともできず、やむなく跨いで歩くルートにしかできませんでしたので悪しからずです。)


伐採後の荒れよう、作業員はこれを多分片づけないでしょう・・?


 さて、左岸の道荒れに閉口した心は、これより愛宕スカイラインへ進みます。この道はほぼ水平動の道なために、疲れた身体を休めながら歩けます。のんびり誰にも出会わない道を表参道水尾別れ上へ半時間もかからないで向かいます。

 途中には道が細くなり、やや足元注意のところも二ヶ所ほどあるのですが、最初の方では谷筋への両方の法面が崩れてしまったところが一か所あります。ここは上部へよりは下部への迂回が楽なようでした。ここさえ通過すれば他はのんびりとしたものです。最後は表参道の杉の大木を右に見て、水尾別れ上の31/40の嵯峨消防分団の標語看板の立つ参道に飛び出ます。

 これより15分で黒門、そして10分弱で両部鳥居の二の鳥居です。それからすぐに愛宕神社到着(1155)となりました。10数人がお祓いを受けるようで、神主の皆さんが珍しく6人も並んで挨拶されていました。それを写真に撮るなどあまりに近すぎ失礼かなと、よくも分からずお祓いをお受けするみなさんと同じように並んで頭をさげているのでした。笑

             
 黒門    社務所前境内に続く石灯篭    二の鳥居の両部鳥居    愛宕神社に着きました。

 あまりの寒さにストーブ小屋へ入らせていただければ、メガネがすぐに真っ白に曇ってしまいました。するとすぐに「オー、たなかさんやないか!」と旧知の山仲間の声でした。「や~久しぶり、元気~」と握手となります。これだけ元気なのは自分だけと思っていたのですが、他にもやっぱり元気印はいるものです。彼は人のうらやむほどの光沢のいい顔肌と、人一倍高い処へ手の届く背をもっているのでした。
 そんな人と時や食も忘れて再会を喜びあいました。結局1時間も長居して、食べながら話しながらのこれぞまさに頂の憩いとしてしまったのでした。そんなことから、自らの予定下山ルートもすっかり忘れて、彼のいう道取りにすることとなってしまい、ストーブ小屋を一緒に出て、西南脇道を水尾へ下り、JR保津峡駅(15:00)までしゃべりっぱなし、いえ、聞きっぱなしの道連れとなってしまいました。持つべきものは同好の山友でした。お疲れ様でした。

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