京北 黒尾山から城山 '13.6.13 晴

 空梅雨の猛暑の中を京都一周トレイル京北コースの一部である合併記念の森から黒尾山(509.4m3等三角点)そして明智光秀築城の周山城跡の城山(480m)を歩いてきました。まずは京都一周トレイル京北コースの宿題となっている合併記念の森のNo.53矢谷上橋への下弓削バス停からスタートです。

 バス停から進むとすぐ左側を見れば南で、左に愛宕山と右へ地蔵山を珍しく北部からの遠望でした。矢谷上橋を渡って直進し、少し進めばあたりに54番の道標が立っています。なだらかに小高い山へ上がって行きます。斜面には紅色に縁取りしたツルアリドオシがいっぱい咲いていました。いつ見ても可愛いお花で晩夏には二つ目をつけて真っ赤な実ができることでしょう。(↓画像クリックで拡大画像)

 新しい京都トレイルの道標が分岐ごとに立てられ、初めて歩くのですが地図などなくても親切過ぎるほど標示に念がいっています。でも、最初の車止めの鎖を横から通り抜けると右側に新しいログハウスがありそこが56番です。そこを少し進めば三叉路につきます。
 ここの三叉路が問題です。そこには京都一周トレイルコースの道標はなく、地元の方向けの表示があります。京都一周トレイルでこちらのコースを初めてやってきた方が迷う地であります。ここは左方向に進むのが正解で、右への直進は間違いです。そうすれば少し進んだ所へ右側に京都一周トレイルコースの道標が立っているのが見えるためにホッとされることでしょう。それが57番でようやく山道に入ります。それも10分も歩けばもう降り道です。そしてすぐに林道歩きですがヒメウツギが満開で何株も多数見られ、ネジキにモチツツジがほとんど終わりとなっていました。

 熊田へとの標示が出てきだすと新しく出来上がった笹原峠線という標示のある林道をゆるやかに登って行きます。60番から熊田集落の63番まで20分ほどでした。今回初めて歩いた合併記念の森でしたが、記念の森といってもピーク地点428.5も踏まないコースとなっているのが残念でありました。せっかくならピークを踏むルートにしてほしかったのは私だけではないでしょう・・・?

 その後は今回唯一の三角点地である3等三角点の黒尾山を踏みます。山頂からは南の左奥のピークが竜ケ岳、右が地蔵山と思われますが、これら以外はほとんど樹林に囲まれ展望はききません。小さなピークですぐに辞して東方向にしっかりした踏み跡を拾います。そして林道歩きの後に道標の立つ真ん中の踏み跡上が砦跡のある下の分岐まで、黒尾山から15分でしたがほとんど林道歩きでした。そしてこの分岐上の砦跡を探索し、戻って右方向へ山道に入り城山へ向かいます。

 途中鉄塔下をくぐってから城山へ少しばかり登ると砦跡下分岐から20分ほどで苔むす石垣残る周山城跡到着でした。下山して見た『周山城跡案内板』の記述によりますと次のように書かれています。

「京北十景の一つに数えられ、城山として親しまれている山城の遺構は天正年間(1570年代)丹波平定を命じられた明智光秀が築城した周山城の跡と伝えられています。
 若狭より京都への押さえを目的とした城で、山頂部は主郭を中心に東西南北の尾根上に曲輪を造成。主郭東側には低い石塁で囲い込まれた通路があり、石塁上に土塀を巡らせていたことが考えられる。また、虎口や井戸の跡、建物の存在を示す瓦片は織豊期に使用されたことを示しており、現存する総石垣の遺構は壮大です。また、西尾根部分には土の城跡があり、支城として存在していた。
 天正九年八月、光秀は津田宗及と十五夜の月見を楽しみ、本能寺の変(同十年六月二日)後の同十二年二月には豊臣秀吉が赴いている。織豊期の築城技術の特徴を残し、文化財としての価値も高い、中世京北町史の貴重な遺産「周山城址」を大切に保存していきたいものです。
 山頂部までの所要時間は60分です。 」とあります。

 このような歴史ある山城だったようですが、残念ながらほとんど荒れ放題で遺構の保存はいかに?、の様相だったのが残念でした。でも京より極めて遠距離地でもあり、歴史的にもそう取沙汰されることのほとんどない城であったのであれば致し方ないでしょうか・・・。そう考えれば周山城跡は不遇としかいいようがなさそうです。

 この後はつづら折れの植林地帯を25分ほど降って、かやぶきの民家からJA京北支所前バス停、そして周山バス停まで歩き、待合所で昼食を食べながら京都行きのバスを待つことになりました。それにしても市内は35度と報じているようで、北の周山でも酷暑の日でした。本日は3時間ほどのお手軽ハイクとなりました。

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