志賀直哉の世界 '12,11,13


 11月に入るとすぐに立冬がやってくる。それは冬のはじまり、冬の気配が現われてくる頃。毎年11月7~8日頃だ。だがあまりよい頃だとは感じないのだ。それは天候のよくないことからなのだろう。今年も雨の日が多く、天候を気にして山へ向かうわが身として極めてよろしくない。今日も雨のようだ。いや、おとといもあさっても雨模様というのだ。

 こんな時にはどうしても読み物に耽ることとなる。もっとも深まる秋の中での時節柄だ。そうだ、「その日は朝から雨だった。午(ひる)からずっと二階の自分の部屋で妻も一緒に、画家のSさん、宿の主のKさんたちとトランプをして遊んでいた。部屋の中には煙草の煙が籠って、皆も少し疲れて来た。トランプにも厭きたし、菓子も食い過ぎた。三時ごろだ。」で始まる志賀直哉の短編小説を本棚から手に取っていた。

 この書き出しは志賀直哉の『焚火』である。この短編は静かで勁(つよ)く、親愛に満ちた東洋的詩精神が表れておりと、その文章力を絶賛したのも、あの芥川龍之介だといわれる。それは妻と群馬県の赤城山山麓での出来事を綴った小編だが、宿の主Kの語る奇妙な体験談が、抒情的で不思議を絶妙な語り口調に表現されているが、文がすんなり追えるのがうれしい。

 志賀直哉は大正から昭和にかけての代表的小説家であることは世に大きく知られるところである。代表作は『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城の崎にて』などであり、いずれも既読である。

 さて、『焚火』その内容であるが、東京に住むKの姉は病状が悪いとの知らせに、急に山を下りて行った。しかしそう悪くはなかったから三晩で水沼まで帰ってきた。次第に多くなる夜の雪道、腰まで埋めてようやくにして月明かりの鳥居峠から遠くの方に提灯二つが見えた。そして覚満淵の辺でその二人と出会った。
 従妹のUさんに聞けば、「母さんに起こされて迎えにきたんです。」後で聞くと母は「Kさんが呼んでいる、Kさんが帰ってくるから迎えに行ってくださいといったという。よく聞いてみると、それがちょうど私が一番弱って、気持ちが少しぼんやりして来た時なんです。」Kさんは呼んでいないのに「お母さんはよほどはっきりと聴いたに違いないのです。」と続き、この話を小鳥島でKさんから聞いた夫婦二人と絵描きのSさんたちだったが、夜の11時も過ぎて大沼の小舟を引き上げる焚火の片づけでは、「勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く抛(ほう)った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えてしまう。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。」と綴られ、闇の中に飛ぶ美しい火の粉の幽玄美を感じるのは我のみではなかろう。

 こうして焚火を読み終えた後も、ふたたびページを振り返るほど気持ちがゆったりとしているわが心がいた。当然この後も「城の崎にて」「小僧の神様」「好人物の夫婦」「山科の記憶」などの短編を読み続けて、秋の夜長にちょうど良い本であったと深い眠りにつけたのである。

 なお、焚火の短編のなかに登場する地名など、これまで何度も登山地図で馴染みの名である。だから、そうだ!、これはもう来春アカヤシオで山の斜面がピンク色に染まる頃には、黒檜山から駒ヶ岳登頂はもちろん、大沼(おぬま)、鳥居峠から小沼(こぬま)、そして覚満淵を巡って小鳥島あたりで「五郎助」「奉公」との梟(ふくろう)の鳴き声も聞いてみよう。それに赤城神社あたりに立つ志賀直哉文学碑も訪ねたい。

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