丹沢 蛭ケ岳から表尾根  ’14.12.31~15.1.1(前夜発夜行帰り) 晴のち曇り、雪

 

 12/31  大倉登山口-大倉尾根-塔ノ岳-丹沢山(みやま山荘泊)
1/1 山荘-蛭ケ岳往復-尊仏山荘-表尾根-ヤビツ峠 

 あけましておめでとうございます。暮れから丹沢に入って年越しとし、元旦に神奈川県の丹沢山塊最高峰でもある蛭ケ岳(1673m)に登ってきました。それにしても私にとっては山という高尚な生活欲の満足を願いながらの生を求めるのだろうかなどと脳裏をよぎる時を得ていたのでした。

 つごもりの日は予想に反して暖かい日となってしまい、通称「大倉バカ尾根」といわれるバカらしい急登をびっしょり汗しながらヒーヒーいって登り上げました。というのも最初の方の大倉高原山の家で3.4㍑の水補給でした。すでにザックには自宅からもポカリやテルモスの湯を計1.5㍑持参しており、ここで合計5㍑ほどの水量となったのでした。
 その訳は、この丹沢山域では稜線に上がると水は大変貴重となってきます。そのようなことからいつもより多めの担ぎとしたのですが、バカ尾根を防寒着、昼の食糧等でほぼ20kgとなってしまって、二日目が殊の外、繰り返しくるアップダウンのうちでもアップな箇所ではヨレヨレとなるなど、これまで経験したことのないような疲労度合を体験させられる富士見山行となってしまいました。そのようなことから、バカ尾根の上部にある花立山荘広場で昼食タイムとして、その水の消費を多めにとの昼食としましたが・・

 もっとも、疲労度の原因には山小屋の布団1枚に2人という超過密で、おまけに両サイドのイビキに朝方ようやく1Hほど寝られたのかなぁ~というようなことや、みやま山荘の夕食は焼肉などで実に美味しくしっかりと食事をさせてもらえたのですが、朝食が関東風の小さなお餅二つのお雑煮と印ばかりのオカズで、ご飯もなく、これが「シャリバテ」の大きな原因となったようでした。蛭ケ岳までのピストンの稜線歩きの歩行中でも過去に経験したことのないほどの疲れすぎで、行動食はもっていたのに、シャリバテが原因だと気がつくのも遅かったような失態でした。

         
 元旦7:00の不動ノ峰休憩所前より    不動ノ峰先より    同左Up

 まして、肝心のお目当てでもあった富士山ですが、初日はまったくその顔なく、それでも元旦の朝方はなんとか見られたのですが、そのうちに富士に雲がとりつき感動は得られるほどではありませんでした。というよりみやま山荘からの蛭ケ岳往復部分にある小さなアップダウンに閉口してしまったのが本音でもありました。途中の鬼ケ岩の頭あたりの鎖場は展望と岩が楽しめる場なのですが、これもそう意識することなく上下してしまいました。

     
 鬼ケ岩の頭より右に蛭ケ岳    同左、右檜洞丸、中手前臼ケ岳、左に同角の頭

 
蛭ケ岳から、富士の左に愛鷹山、手前中に檜洞丸、右奥に御正体山

 このようなメロメロ状態が続き、どうにかみやま山荘でデポを回収し、降りの竜ケ馬場からの大山への展望地にも寄って楽しむ余力もなく、ようやく日高(ヒッタカ)へ登り上げ、途中にはあまり元気のなくなっているブナやミズナラを横目に、マツハダ、ミヤマザクラ、ヒコサンヒメシャラなどにも目には止まれど、冬期のこの時期には普通あまりできないせっかくの観察チャンスを、そばでじっくりとすることもなく通過するなどあまりの疲れのために心ここにあらずの状態で、いつもの丹沢歩きとはなりません。

 塔ノ岳が近くなってきたころには、下山ルートはこれでは計画の表尾根は無理かな、ならばまたバカ尾根を下るしかないのかなどと思いながら、なんとか塔ノ岳の尊仏山荘に飛び込んだのでした。そして、外のほうでは「すごい勢いで雪が降ってきたよ・・」との声もチラッと聞こえはしましたが、外へその様子を見に出る元気もありませんでした。さぁ、メシだと、1時間ほどの昼食タイムで昼食を作りましょう。佐藤のお米の大盛りです。ラーメンも二人前、野菜にお肉や、缶詰もと持参品などを猛烈にお腹へかきこみました。これでとたんに元気が出てきてくれました。

 よし!、これなら予定どうり表尾根を降ろうとの心意気となってくれたのでした。ところが猛烈な雪降りになってしまい、どんどん道が消えてしまうこととなって、今度は別の焦りが出てきだしてきたのです。でも、このルートは上り下り合わせて3~4度ほどは歩いているはずです。このように考え、落ち着いて沈着冷静に先を見定めながらの歩きとします。
 今回は計画時から近鉄高速夜行バス帰りの21時発までに、早く山を降りれば過去の経験では時間つぶしに苦労ばかりしていましたから、逆にバス発車時刻に合わせた山中の歩きを意識しての行動としていました。そのようなことからほぼ山の道歩きが済むこととなるヤビツ峠17時着との計画で、峠以降山道を蓑毛バス停まで約1時間はヘッドランプ着用の予定としていたのでした。

 しかし、塔ノ岳で1Hの昼食大休止を13時に終えて降り始めたのでしたが、上部で上がってきた5~6人のトレースがすぐに消える始末で、道形も次第に不鮮明となってきます。岩の鎖場はなんなく登り上げ、行者ケ岳からの激下り手前でようやくアイゼンをつけ、よし、この後の三ノ塔を目指そうと進みます。ようやく三ノ塔の避難小屋だと中へ入ろうとして驚きました。その小屋は避難小屋よりずっと手前の烏尾山荘でした。もちろん、営業小屋なのにこの時期には無人で誰もいません。

 出会う人は上の方の木の又大日あたりまでに登ってきた人に会っただけで、その後には誰一人出会いませんでした。雪の続く道を悠々歩いていた私にとって、ずっと手前の烏尾山荘が三ノ塔の避難小屋だと勘違いしたのがショックでした。この場でようやく地図を広げるバカさ加減でした。というのもこのコースは頭に入っているつもりでしたので、最初から地図などザックにしまいぱなしだったのが失敗だったのです。
 おまけに、この後の三ノ塔までの激登りが大変でした。それでなくともこの烏尾山荘から三ノ塔までの間が一番ルート不鮮明箇所があることでした。このようなことから、若干精神状態はよくはなかったのですが、そこはそれ、歩いているうちに過去のこのルートを徐々に思い出してきましたので、安心を求めての歩きとします。

 そして、最初の林道に降りればもう完全に安心です。すぐにまた山道を降ってまた二度目の林道からは火災で焼失した富士見山荘跡広場まですぐでした。この車道に突き当たる右手前には新しくWCも設置されていますが、用を足す必要もなかったために、建物内には上がりませんでした。しかし、後学のためにチェックすべきだったと反省です。(後日他のブログで見たのですが、元旦の当日塔ノ岳で日の出を見て下山した昼過ぎでは、このWC設備は冬期凍結のために使用禁止で閉鎖となっていたようです。)これは時間を急ぐあまりの仕業でした。
 もちろん、ここの三叉路の車道をバックする形で、左へ進めば護摩屋敷の水場もあることは知ってはいますが、私は確かに水はほとんど消費していましたが、右へ進みヤビツ峠直下の沢で水場予定としていましたから、今回は左折へのこれもパスでした。

 さぁ、右へ雪のある車道を歩き始めますが、そこそこ上下の車が通過して行きます。30分ほどの歩きでしたが、暗くなりかけた時間帯でしたので少々焦ります。20分ほど歩いたところ、女性?と思われる方がサブザックでの姿、どちらへと声をかけると水場へ行ってきます。ヤビツ峠発17:41のバス時間がありますから・・とのことで、よし、こちらもバスに乗ろう!、とすぐにその声に同調でした。

 16:40ころヤビツ峠に着けばもう一人の女性が居ます。聞けば大山に登ったのですが、こちらの峠へ下山すればバスがあるからと、先ほど水汲みに行かれた男性の方に付いて降りてバスを待っています。とのことでバスの時間を見ながら私もその気になっていました。バス停の標識にはよく見れば、バスは凍結時には通行できない旨の張り紙もありましたが、そのことについて私は特に深く気にもとめていませんでした。

 ここに1台のマイカーが寄ってきて女性から、バス待ちですか、今日はバスは上って来ないと思いますよ、よければ乗りませんか、秦野まで送りますよとの呼びかけをいただきました。これ幸いにとお願いします。ただ、残った女性はもう一人水汲みに行ってるから待ちますとのことでした。マイカーは走り出し、同乗のご家族とその女性はやっぱり山好きな方、助かりました。(よく考えれば、冬のこの時期にも過去に何度かこのヤビツ峠へ来ていたのですが、一度たりともバスは凍結で上がって来ず、バス利用の経験はありません。よって、この峠でのバス乗車は期待できないこととしての行動が必要でしょう。)

 私は当初はヤビツ峠から最終の蓑毛バス停までヘッデンで歩く予定にしてたのを、疲れきった身体で冷静さを欠き、峠からバスがあるとの声を耳にし、早合点してしまって山の中のヘッデン歩きを辞めとしたのでしたが、万一、マイカーの方からの声が無ければ1Hも待った挙句にそれから蓑毛まで歩かなければならない羽目になるところでした。

 この経験にはたとえ疲れていても、他人の行動にも冷静に行動をとること、また、それに自らも山歩きの中で万一、他の方の困ったことに出会えばその方のためになる行動が必定だとの戒めを受けたのが最後に起きた出来事となりました。とこの時点では最後と思って悠々としながら、それにしてもあの護摩屋敷の水場まで汲みに行った方の男女はどうされたのだろうかと思いながら、こちらはいつもの「さざんかの湯」でゆったり汗を流し、満腹のお腹を抱えて新松田21時発のバス乗車としたのでした。

 ところが、時間どうりに発車したまではよかったのですが、乗務員によれば西日本は高速道路通行止めとなっていますから、帰着は大幅に遅延となりますからそのおつもりでとのつれない案内でした。これにはギャフンでした。でも、乗れば二日間の疲れが出て、すぐに熟睡で京都到着予定時刻の朝5時過ぎに車内灯がついて大幅遅延の案内で目が覚めました。
 この後がいけません。国道1号線の草津あたりだったでしょうか、バスは停まったきりで進みません。10時ころを過ぎて乗務員から後3Kほど歩けばJR瀬田駅から電車に乗れますがご希望の方は申し出てくださいとの案内とお茶に片パンの缶詰が配布されました。

 1H経っても1Kはおろか100㍍も進みません。終いには待ちきれない方がもうここで降ろしてと4人ばかりが雪の滑り易い歩道を歩き始めました。こちらは今日は予定なしのために、京都まで乗って帰ろうとのんびりバスと付き合うことに決め込んでもう少し寝ようとフルリクライニングでした。しかし、いくらたってもバスの動きはありません。この調子なら、京都へは夕方にまでなるのだろうかと思うようになってくる始末でした。たとえこのような疑問を乗務員に尋ねても、確たる答があろうはずはありません。

 車内を眺めるとほとんどの方が降りてしまい、数えるほどの姿しかないようです。これでもいくら本日用事がないにしてもと思うようになる有様でした。しかたなく、ここで降ろしてと雪道の中へ放り出してもらいました。これより凍結で滑り易い歩道を注意しながら、なんとかJR瀬田駅へ14:30過ぎでしたでしょうか。いえ時間もはっきり覚えていません。放心状態でこれまで乗車したこともない駅から茫然としながら、京都へ帰ったのでありました。

 それにつけても、今回の山行はうやむやな時間ばかりでした。やっぱり、たとえ矍鑠たる身とはいえ、年末年始やGWという時期の行動には相当の覚悟がいるものだと今更ながら考えさせられるのでした。別に物語をとの思いもなく梗概さえなにもあったものではない2015年始まりのお粗末でした。
 なお、下山時の塔ノ岳以降は画像はありません。それは雪降るなかの歩くばかりで、景色は皆無であり、勝手知ったるコースでもあったためで、デジをザックから一度たりとも出すこともなかったのも久しぶりのことでありました。それが証拠に、全コース中においても好きな樹木たちにも一度もデジを向けなかったのですから・・

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