北ア 紅葉の涸沢  ’14.10.10~12 三日間とも晴

 今年も涸沢の紅葉でした。その非日常の自然は若き日の人生の不調時の妙薬のような、想い出の心を見つけにいく山旅でしたでしょうか。しかし、現実では紅葉の見ごろは今夏の天候不順で例年より1週間は早くなってしまい、はたまた直前の台風にも大きな影響を受けて葉が落とされるなど、紅葉目当ての山歩きは台無しとなってしまいました。ところが歩いた三日間が青空いっぱいで、わずかに残った紅葉であったにせよ、ご参加の皆さんの満足度は最高潮となったようでした。やっぱり山歩きでどなたにも望まれるのは、青空の晴の日歩きそのものようです。

 さて、上高地のランドマークでもある河童橋ですが、その喧噪の河童橋あたりも素どうりしてしまうような歩きの登山ツアーはできれば、私的には踏み入れたくない歩きなのですが、業としている立場上そうもいってられません。なぜなら、この河童橋そのもののご案内だけでも多くのお聞きいただける話は山ほどあるのですが、そんな耳より情報もお聞きいただくことなく、やむなく急ぎ足で前進です。ツアー登山と個人ガイド登山との相違点がこのあたりでしょうか・・・

 そうはいっても私の案内のポリシーは、お客さまに目いっぱいお楽しみいただき、今日のツアーに参加してよかったネ、と心よりご満足いただけるガイドを心していますから、最小限となってでもお話をお聞きいただきながら明神方向、奥上高地へ向かいます。

 日本の観光地の中でも、自然の美しさで誰もが認められるでしょう。この上高地街道周辺の自然のすばらしき小径を、ただ素どうりするだけでは、あまりにももったいない歩きではないでしょうか。梓川のケショウヤナギなど渓畔林の景色、ハルニレ、サワグルミなどの湿地林の森等の構成から始まり、今回は涸沢の紅葉ツアーとのご参加ですから、本日のお目当てでもある何はさておいても、紅葉はなぜ赤くなったり黄色くなったりするの?、また、どんな訳で植物たちは紅葉するの?、などと、いわゆる「紅葉のメカニズム」などについてもお聞きいただきながら、あたりの木々の美しさを眺めて一瞬でもお楽しみいただきたいと願って歩きます。

 このような内容で1時間近くも歩けば、まばらな観光客以外の登山者で賑わう明神館前広場でお手洗い休憩です。ここにはコナシの大木2本があるのですが、今年は赤い実が不作のようです。そんな訳でいつもは見かけるお猿さんも見かけません。それにマユミも不作のようでした。そばには真っ赤な果実をつけるカンボクがあいかわらず目をひきつけます。近くに大きく立つ、見事な黄葉姿を見ていただきたかったイタヤカエデの大木も葉をほぼ落としてしまっていました。(以下全画像クリックで拡大、説明等)


カンボク

 私の受け持つグループの方々にはしっかりこれらの案内とします。その先、白沢出合の橋上からは明神岳5峰を見上げてカメラタイムをすすめます。もちろん、徳本峠への分岐で近代登山の父と崇められるW・ウェストンにまつわる話しもお聞きいただきましょう。

 湧水の古池を見ていただきながら、次第に出てくる周りの紅葉の木々を紹介し、梓川の河原で光景の主役ケショウヤナギの風景に目をなげかけ進みましょう。もちろん、あれはトチノキですね、こちらはハウチワカエデですねなどと、木々の名前のみならず、赤ばかりか黄葉や茶褐色などに色合いをつける樹種の理由などについて、さまざまな色素などまでも含めた案内で、やや難しいかな・・などと笑い話も入れて和やかにお聞きいただきながらの前進としましょう。

 そして、足元に黄葉の落ち葉が散り染められた小径にやってきました。さぁ、皆さん、このあたりに来てなんか甘い匂いはしませんか?、などと問いかけます。実はこの香りの主は落葉となって散らばっているカツラの葉っぱです。なんか砂糖を焦がしたような甘い香りなんですよ。と呼びかけます。
 そしてカツラの落ち葉はこのように甘く香りを感じさせる、その原因についても皆さんに解説をお聞きいただきましょう。しかし、この話は紅葉のメカニズム以上にちょっとややこしくなりますよ。と笑いかけます。そしてやわらかく解説していきます。その正体、天然の有機化合物でもあるマルトールというのが香りの成分との説明でした。
 このような紅葉季に、カツラの落ち葉により、なぜ砂糖を焦がしたような香りを発散するのかとのメカニズムについても、日ごろ一般的には、あまり耳にされない話ではありますが、案内させていただきました。

 そうこうして、梓川左岸より明神岳や前穂高岳のカメラポイントでも立ち止まります。賑やかにカメラの列が並んでよく見れば、どうしても岩の稜線上にばかりカメラは向いています。私は逆に梓川の清らかな清流の流れを焼きつけるがごとく、目と心で追いましょう。やがてハルニレの森に入れば初日の行動も終えることとなります。


ハルニレ



 二日目もそれは晴ればれとした青天の一日の始まりでした。芝生のキャンプ場を踏みしめ、あの氷壁の宿横をぬけて、その先の新村橋も持ちネタで紹介します。もちろん、この橋は昭和初期の名登山家、新村正一の功績を偲んで架けられた吊り橋であり、パノラマ新道とは反対側の中畠新道(熟達者向き)の開拓者であります。ちなみにパノラマ新道も上級者コースですから、このつり橋を渡れる有資格登山者はこの中には・・・?、と笑っていただきましょう。

 次のカメラポイント地で前穂高岳北尾根を見上げて説明をお聞きいただきます。あの雪渓が奥又白池で、その上に前穂東壁がありますが、その一帯が、切れないはずのザイルが切れたという、井上靖原作『氷壁』の舞台となったところです。そして、右下がりにピークが落ちていますが、この稜線が前穂の北尾根という、一級のクライマーのゲレンデでもあり、中ほどが有名な5・6のコルです。などと説明に熱も入ります。


前穂高北尾根

 やがて、上流に進むに従い、梓川の水は浅く畔のゴーロは小さくなってきています。前方に鋭鋒らしき穂先が歩く人たちに最初に目に入ってきます。これまでから、よくあの山は?、との声を聞きますが、残念ながらあの山への登山道はなさそうです。名は中山という2492.0mのピークでしょう。
 では、もう少し左のほうの赤茶けた山はなんですか?、との質問です。そちらは表銀座縦走コース西岳の南側の赤沢岳2670.3mです。あのピークも登り道はなさそうです。などと話しが出れば横尾山荘は近くなります。
 山荘手前のWCから横尾橋前で休憩となります。南側を見上げれば屏風岩の先に前穂高岳が見下ろしています。皆さん、満足げにカメラタイムですが、私は横尾のつり橋袂に立つカツラの木が葉を落としてしまっているのを見て、紅葉時期のこのカツラの姿は初めて見る丸坊主の様子に気がめいるのでした。


横尾つり橋

 ようやく、横尾谷に入れば山道となってくれます。保健保安林の案内に目の留ったお客様はおいででしたでしょうか。数ある保安林の中でとても少ない保健保安林の案内に出合えば、私は美しく清浄な景色の中に我が身を溶け込ませてくれるのだな・・・との気持ちにしてくれる案内に思えてしますのです。


保健保安林

 足元にはノコンギクの残花がまだ美しく咲いて見せてくれ、コウモリソウ、オオバコウミリ、ハバヤマボクチなどさすがに秋花のキク科の山野草がちらほら目につき、ウワミズザクラ、フウリンウメモドキ、ツルツゲにクロツリバナ、ヒロハツリバナなどが赤や黒っぽい果実をつけている個体にも出会えました。
 すると人の姿が多く見受ければ本谷橋です。我らもこの岩屑の畔で一息入れることとなります。ふと目を上げて南方向を遠望すれば蝶ケ岳の東方向にある蝶槍の小さなピークも飛び込んできたのです。まだあの方面を歩いてない方には、蝶ケ岳から常念岳への稜線漫歩で槍穂高の山並み展望をお楽しみいただきたいものであります。初級者の方には更に少しトレーニングすれば容易に歩けることでしょうからお薦めです。

 さぁ、この橋を過ぎれば今回のコースで唯一の急登が待っています。もちろん、足元にはゴーロの連続ですから、初級の足では十分なる注意が必要でしょう。今夏もコース中にあるSガレ部分で二度の遭難騒ぎが発生しているとの情報掲示し、遭体協の方が横尾で呼びかけておられました。
 メンバーの皆さんも無事に通過でき、なんとか涸沢ヒュッテの吹き流しが見えるところまで上がれば、小屋に着いたも同然でしょう。眼前に北穂のピークが目に入り、奥穂やつり尾根も姿を現せてくれると、皆さんも晴れやかなる声が出だしてきます。

 しかし、登山道沿いのヒロハカツラ、ダケカンバ、ウラジロナナカマドなどの涸沢の紅葉三羽ガラスたちは、残念ながらほとんどが葉を落としているような感じであり、テンションが期待以上に上がることはなさそうでした。最高のシーズンを知る者にとっては、誠に申し訳ない気持ちでいっぱいでもありました。やっぱり、見事な紅葉に出会えるには一度来たくらいでは見させてはくれないのでしょうか・・・。また、年を変えてリベンジしていただきたいものです。


ヒロハカツラ

ウラジロナナカマド

 


涸沢岳

北穂高岳

 散策タイムもお楽しみいただき、涸沢小屋方面からの景色にも見ていただいて、飲み物で一息いれていただきます。そしてとてつもなく早い夕食を済ませても時間を持て余すばかりで、超満員の宿泊者によって、横になる場所もほとんどない有様には皆さん、言葉もなかったようです。繁忙期のリッチな山小屋ライフは無理としても、企画の中の行程等、宿泊地の見直しもなんとか・・・?、との声も出る始末でもありました。

 それにしても、夜の星空観察は初日は×、二日目はできたにしては、いまいちの空模様で、ばっちりとはなりませんでした。それでも「夏の大三角」である、こと座のベガ「おりひめ星」、わし座のアルタイル「ひこ星」に、はくちょう座のデネブの1等星はなんとか見られましたが、火星は前穂北尾根の稜線に隠れてまったく見えませんでした。
 そして、肝心の秋の夜空の手がかりで有名な「ペガススの大四辺形」はぼんやりとしてはっきり見えなかったのが残念でした。もちろん。1等星ではない、カシオペア座や北斗七星もはっきりとは目にできませんでした。

 でも、朝食が4時半からという考えられない時間からでしたから、みなさんこんな早い時刻にかかわらずお目覚めで、朝方のスターウォッチングにはいろいろな星空もご覧いただけました。まずはオリオン座です。三ツ星から容易に探せる星座ですが、1等星はペテルギウスと対角線上にリゲルです。そして三ツ星すぐ下に最も見やすい星雲のM42が見えていました。それから「冬のダイヤモンド」は冬の大六角ともいわれており、この時期の早朝には寒い時ですが、1等星が数多く見られ多くの山人が楽しめる時期的、時間帯でもあります。

 さて、その冬のダイヤモンドはおうし座のアルデバラン、ぎょしゃ座のカペラ、木星の上にならぶ二つの星は上の方が白いカストルの2等星、下の黄色い星がふたご座のボルックスで1等星、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウスに最後はオリオン座のリゲルの1等星6個であります。
 さらに「冬の大三角」としてオリオン座のペテルギウス、こいぬ座のプロキオンとおおいぬ座のシリウスの1等星3個です。そして東の空のすごく明るい星は惑星である木星でした。さらに木星の下の白い星はしし座のレグルスの1等星でした。もちろん、北東側方向に北斗七星に北極星をはさんで西北にカシオペア座が見えていました。


 最終日のお目当ては朝方のスターウォッチングから次のモルゲンロート(朝日により山肌や雲に当たり赤く染まること、または朝焼け)でしたが、期待していたほど真っ赤には染まりませんでした。ちなみに反対の夕焼けの場合はアーバントロートといっています。

 この朝焼けの涸沢岳を見てから、いよいよヒュッテを後にしましょう。下り道は明日は台風19号本土上陸の予報のために、登りの登山者はないだろうとよんで余裕の登山道と予想してスタートしたのですが、人はいろいろです。日帰りなら今日は晴の天気が持ちそうですが、小屋泊まりであれば明日の雨・台風は必至の予報です。そんな日なのに、どんどん登りが上がってきます。そのようなことから、下りも渋滞となって思わぬ時間を要しました。

 でも、横尾山荘まで下山すれば、今回の山旅は終わったも同然です。のんきに林道歩き、そして井上靖の氷壁の舞台となった前穂東壁や奥又白池の雪渓が見えるようになれば、氷壁の大映映画の話題としましょう。
 その主人公には魚津恭太(菅原謙二)、ザイルの相手は小坂乙彦(川崎敬三)、そして美人の人妻は八代美那子(山本富士子)、二回りほど年上の亭主に八代教之助(上原謙)、小坂乙彦の妹かおる(野添ひとみ)、母親(浦辺粂子)、そして魚津恭太の勤務先の上司常盤大作(山茶花究)等のキャステェングを皆さんに話して、往年の豪華メンバーによる大ヒット映画の想い出を聞いていただきました。

 話しは変わりますが、今回のツアーで感じたことは、ガイドの資質または適正さは、お客様に対して、単に山を案内したり、山登りの技術提供または自然解説だけではなく、トータル的な登山や自然の楽しさ、喜びを感じていただき、また、自然の尊さをお伝えし、人間関係にも目をむけることのできる人柄でありたいと常に心しながら、さらなるガイディングに努めていきたく思います。
 私はお花はもとより、経験上からお客様の関心の深い、いろいろな山の自然学等のご案内をお聞きいただきながら、心ゆったりと疲れも少なく知らぬ間に目的の山頂に辿りつくようなガイディングを心して行っています。ぜひ、少人数による個人ガイド登山でご一緒しましょう。ご連絡をお待ちしています。 


 なお、この氷壁のあらすじは次のようなものです。一読なさって山歩きの男の友情、それに若き日の恋愛感情など、ひと時のかてにされてみては如何でしょうか・・・~

『氷壁のあらすじ』(ウィキによる)

新鋭登山家の魚津恭太は、昭和30年の年末から翌年正月にかけて、親友の小坂乙彦と共に前穂高東壁の冬季初登頂の計画を立てる。その山行の直前、魚津は小坂の思いがけない秘密を知る。小坂は、人妻の八代美那子とふとしたきっかけから一夜を過ごし、その後も横恋慕を続けて、美那子を困惑させているというのだ。

不安定な心理状態の小坂に一抹の不安を抱きつつも、魚津達は穂高の氷壁にとりつく。吹雪に見舞われる厳しい登攀のなか、頂上の直前で小坂が滑落。深い谷底へ消えていった。二人を結んでいたナイロンザイルが切れたのだ。必死に捜索するも小坂は見つからず、捜索は雪解け後に持ち越されることになった。

失意のうちに帰京する魚津。そんな思いとは裏腹に、世間では「ナイロンザイルは果たして切れたか」と波紋を呼んでいた。切れるはずのないザイル。魚津はその渦に巻き込まれていく。ナイロンザイルの製造元は、魚津の勤務する会社と資金関係があり、さらにその原糸を供給した会社の専務は、小坂が思いを寄せていた美那子の夫・八代教之助だった。

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