但馬 朝来山と竹田城跡 ’14.9.17 曇り

 天空の竹田城跡を立雲峡から展望しようと行ってきました。もちろん、お目当ては兵庫百名山のひとつでもあります朝来山(756.5m)でした。この山は雲海のシーズンともなれば竹田城跡の撮影スポットとしても、つとに名を馳せている山でもあります。


竹田城跡から見る朝来山

 竹田城跡は雲海こそ時間的には消えてしまっていて、錦雲たなびく天空の城とはいかなかったのですが、朝来山の中腹で桜の有名な立雲峡の三か所からの展望台より、それぞれ標高が少しずつ違うために、竹田城跡そのものの光景がいろいろ楽しめると思われます。。↓のパノラマは一番上にある第1展望台から撮影したものです。

 

 さて、今回は最初に朝来山へ登ることにしました。JR竹田駅から歩きましょう。ちょっと距離がありますが、いやいや歩くのは専門です。笑
そして立雲峡の最後の駐車場まで舗装路歩きにやや速足でしたが半時間ほどでした。やっぱり山道の方が楽ですね・・・

 この先は桜の時期の観光客向けで、道は散策路の幟りや旗などに行先標示だらけです。まずは3分で第3展望台でしたが、マイクロバスで追い越して行ったお年寄りのみなさんが、この展望台一か所だけでもう降りてこられました。この第3展望台は竹田城跡とほぼ高さが同じくらいの地にあります。
 続いて15分ほど上がれば第2展望台で、竜神ノ滝すぐ上の岩上でしたがここだけは狭いです。このあたりには何も標示がなくなっています。ここからはズームで撮ってみます。さらに10分ほど登ると第1展望台でした。ここからの竹田城跡は↑のパノラマ写真のとうりです。もっとも雲海時には↑のような風景ではなく、城跡だけが雲海の中で船が浮かんでいるようにしか見えないハズですが・・。そしてその頃の雲海の朝方にはカメラマンが大挙して押し寄せるのでしょう。一番上であるのに、展望台地の斜面は裸地化して広くなっていました。

         
 第3展望台より    水の細い竜神ノ滝    第2展望台より

 三か所の展望台からの竹田城跡を眺めた後は朝来山に登りましょう。すぐでおおなる池でした。カエデやススキが秋を知らせてくれる風情が見られました。また植栽のトサミズキも若い果実をいっぱいつけていました。 

     
 秋を待つおおなる池    トサミズキ(マンサク科)実がいっぱい

 池の上は林道です。そこには比較的珍しい看板が立っています。保健保安林の標識でした。反対側にはこれはどちらでも見られる水源かん養保安林でした。保安林の種類は 水源のかん養、土砂災害の防備等それぞれの公益目的の達成のために指定され、農林水産大臣又は都道府県知事によって指定される森林です。その種類は17種類に及びます。
 とりわけ水源かん養・土砂災害防止・土壌保全機能等の保安林は全国的には90%を占めていますが、保健保安林については保険・レクレーション機能の保安林で1%にも満たないようです。

     
保健保安林     水源かん養保安林

 10分足らず林道を東に600m進めば朝来山の登山口標示が右に立っています。これより「むささびコース」の最初は丸太階段ですが、そのうちにつづら折れの急坂山道が出てきます。やがてひとつめの展望台からすぐで広く大きい展望台へ35分ほどで上がってきました。でもこの展望台も周りの樹木が成長したようで、そう展望はよくありません。
 山頂へはこの先10分くらいのようですから、休まずに進みましょう。しかし、この朝来山山頂も周囲が樹林に囲まれてまったく展望なしでした。2等三角点にタッチしてそのまま引き換えし、多数のベンチや方向指示版もある広い展望台でお昼としましょう。わずかに北側に東床尾山でしょうか。あの山にも数えきれないほど時期を変えて登っているな~と思い出しながらのお昼でした。

         

 食事の展望台から45分ほどで立雲峡最終駐車場まで降りてきました。そしてこの後の舗装路をテクテクと南登山道を竹田城跡へ向けて1時間ほど歩けば300円観覧料の収納所到着でした。それにしても汗いっぱいの1時間には参りました。

 もちろん、観光客の仲間入りですが、お天気も曇り空で写真もそう期待できません。どうやら、城跡は今年3月よりロープを張りめぐらせて見物は一方通行となっており、本丸・天守台等への高台上がりはすべて通行止めの通せんぼとなっていました。したがって、竹田城跡の最高所である天守台に埋まる三角点(353.7m)の元へは辿ることはできません。

 竹田城跡からの景色です。

         
 北千畳から右から朝来山、粟賀山、金梨山   二の丸から南千畳方向     南千畳から本丸・天守台

 下山後は寺町通りを散策しましょう。寺町は元武家屋敷のあった所で4寺巡りですが、中でも常光寺では初代城主太田垣光景のお墓にお参りし、法樹寺は城主、赤松広秀公の屋敷跡で、ここには芭蕉の弟子であった住職(魚潜)の句である「月に動き月に静まる心かな」と心に残る句が月塚の前に刻まれていました。
 また、江戸期に建造された石橋は但馬には7つあるといわれていますが、そのうちの5つがここ竹田地区にあり、その内の4つが寺町通りのお寺さんの前の竹田川にかかる石橋とのことで、じっくりと眺めることもできました。

     
 太田垣光景の墓    赤松広秀の墓

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