北ア 涸沢から奥穂高岳 '12.9.21~24

 紅葉前の涸沢から奥穂高岳をゆっくりのんびり登山で、花ばかりでなく多岐にわたる山の自然学も楽しめた。しかし、秋色の上高地であっても花の季節はフィナーレであるためにその点ではやや寂しい山旅ではあった。
 でも、わずかにカニコウモリ、コウモリソウ、ゴマナ、ノコンギクやマルバノリクラアザミなどのキク科類ばかりを眺め、それにヤチトリカブトの紫色が映えていたが、クロクモソウ、クサボタン、ヨツバヒヨドリ、サラシナショウマなどは深まる季節となっていた。また、樹木たちの果実類もオオカメノキ、カンボク、マユミなどが赤っぽい実をつけていたのが目に止まってくれた。

  河童橋あたりは人を変えてしまうほど非日常性を感じるのは私だけだろうか。花ばかりでなく上高地の森の自然もすばらしい。河童橋奥の小梨平のカラマツ林は大正初期に植栽されたというが、樹齢80年ほどの人工林なのに天然林にも勝るとも劣らない美しさが広がっている。そんなカラマツ林の間から垣間見える梓川一帯のケショウヤナギたちの河辺林と共にまだまだ緑一色で、黄葉するには1ケ月も先のことだろう。
 この上高地の河辺林の代表であるヤナギ類はオオバヤナギ、オノエヤナギ、エゾヤナギ、コエゾヤナギ、イヌコリヤナギ、ヤチヤナギ、バッコウヤナギ、ドロノキなど14種ともいわれている。中でも上高地を代表する光景のケショウヤナギは有名で、北海道と上高地の隔離分布といわれている。

 この上高地には高山蝶が4種類見られるとある。それはクモマツマキチョウ、オオイチモンジ、コヒオドシ、ベニヒカゲで、とりわけ上高地を代表する高山蝶といえばオオイチモンジで7月ころには河童橋あたりでも飛翔するのが見られるとのことから一度は見たいものだが・・・
 この高山蝶とは太古の昔の氷河時代、シベリアや樺太、中国北部より日本に渡ってきた寒冷地の蝶で、氷河期が終わって暖かくなった後に寒冷地に取り残されてしまった蝶のことだ。

 そんな風景を見たり物思いにふけったりしながら、明神、徳沢へと進み、シラビソ、トウヒなどの針葉樹とともに、ハルニレ、カツラ、サワグルミなどの湿性林を見上げながら、このような森は景観はもちろん保水の役割、野鳥や昆虫などや日本猿など動物たちの生活の場の空間となっていることなどを考えながら歩くのも楽しい。そんなことを考えていたら偶然にも日本猿が我もの顔で我らの前を横切ってシナノザサの中へ消えていった。
 上高地に住む野生動物は国の天然記念物に指定されているカモシカをはじめ、ツキノワグマ、ニホンザル、キツネ、タヌキ、ノウサギ、オコジョ、ヤマネ、テン、リス、アカネズミ、モグラの仲間のヒミズなどがいるといわれている。

 まずは明神館奥の白沢にかかる橋から明神岳第5峰を見上げた後に、徳沢の芝生広場到着だ。この広場は明治初期「上高地牧場」と呼ばれていたらしい。昭和初期まで放牧が行われ、多い時には牛馬合わせて400頭もいたといわれ、雪の徳本峠を越えてきたようだ。今はキャンプ場として利用され、北アの登山基地として多くのテントが張られるが、さすがに今回は淋しかった。

徳沢のキャンプ場
手前の木はマユミ

 その地まで足を運ぶと、もちろん前穂高岳東壁という井上靖の小説『氷壁』の舞台となった岩峰が見下ろしている。これを見上げれば小説氷壁の話題が出てくるというものだ。切れないといわれていたナイロンザイルがどうして切れたのか?、そして男と男の友情とともに男と女の愛の物語として、冬山をリアルにそしてそれぞれ人間は見えないザイルで結ばれているが、いつかこのザイルは死という現実に切られる運命にあるのだが、この繋がりははたしてどうか?・・の長編名山岳小説はもう50年も昔の実話をヒントにした小説としてあまりにも有名だろう。
 この日は氷壁の宿『徳沢園』で荷を解き、ゆったりとしてそのドラマの内容を思いめぐらしながら、早めに横になって翌日の長い縦走に備えることとした。

 あけた朝は何とか雨は大丈夫のようである。徳沢からすぐでつり橋の新村橋が梓川に架かっている。この橋は奥又白谷の岩壁にクライミングルートを開いた登山家、新村正一氏の功績を偲んで架けられたものだが、橋から望む穂高連峰の眺望と梓川の清流が美しく、いつも寄ってしまう。
 そして梓川沿いを行くも今年の雨量の少なさを物語っているかのように、いくらも歩かないうちにもう水の流れは消えている。どうしたことだろう、奥の横尾が近づいてくるとようやく流れが出てきたが、どうやら伏流水となっていたようだ。

梓川の奥には前穂が見下
ろすが水の流れは見えない

 横尾のつり橋たもとにあるカツラの黄葉はもちろんほとんど緑色のままである。このつり橋を渡って横尾谷だが、すぐに屏風岩が見下ろしており、あたかもノコンギク街道かと思わせるほどのノコンギクである。そして次第にいろいろな植物の果実たちが出てきて楽しませてくれる。ゴゼンタチバナ、ツバメモト、マイヅルソウ、ズダヤクシュ、アカモノ、タケシマランなど覚えきれない数である。さらにクロバナヒキオコシの残り花が乱れ咲き、ミヤマダイモンジソウ、アキノキリンソウ、ソバナも咲き、センジュガンピやツルアジサイ、ノリウツギも咲き残っている。

 本谷橋で一息いれていると見慣れないキイチゴが目についた。帰宅後調査の結果『エゾイチゴ』で初見なれば名が出てこないのは当然だ。詳細にふれてみよう。別名カラフトイチゴともいわれ、分布は北海道、本州(中部以北にまれ)とある。どうりであまり目にしないはずである。
 山地から亜高山に生育し、低木で1mほどになるという。葉は奇数羽状複葉で、小葉は1~2対となり、裏面に白毛が密生、刺が散生するとのことである。6~7月に咲く白い花は平開せず、萼に刺針があるとのことである。なお、葉裏が緑色で白い綿毛がないものをカナヤマイチゴという。(以上山渓の木に咲く花参照)

エゾイチゴ

 バラ科キイチゴ属の他にはベニバナイチゴ、ヒメゴヨウイチゴの赤い果実はもちろん口に入れてみたが結構うまい味がした。それに秋の山歩きの中で、おもしろい果実の姿のためによく目立つツリバナ類の標高の高い亜高山帯等で見られる、@オオツリバナ、Aヒロハツリバナ、Bクロツリバナの果実についての相違点も同上の図鑑にておさらいしておきたい。

@オオツリバナ
 直径約1.5cmの球形で、鋭い稜が4~5個あるが、翼はない
Aヒロハツリバナ
 著しく発達した翼が4個あり、翼を入れて直径2cmほどの大きさ
Bクロツリバナ
 直径1cmの球形で、目立つ大きな翼が3個ある。

 本谷橋からはいよいよ急登の連続であるが一気に標高も稼げる。ヒロハカツラ、オガラバナ、ミネザクラ、ヤマハンノキ、ウラジロナナカマドなど比較的限られた樹種の樹林帯をどんどん進み、右前方に北穂高小屋の屋根が見えるようになると涸沢小屋も近い。

 オオヒョウタンボク、サンカヨウ、ミドリユキザサ、ザリコミなどの果実たちがそれぞれの色合いを告げている。Sガレを過ぎて涸沢小屋、テン場に涸沢ヒュッテが見えると気が緩んでしまいそうになるが、稜線のコルはまだ遠いのも知っている。
 しかし、涸沢ヒュッテ下の分岐が近づくといよいよ奥穂だ、前穂だとテンションも上がってくる。なんど見てもこの光景は飽き足りない。そして涸沢小屋テラスで大休止して、前穂高に奥穂高からの大圏谷を眺めまわすのである。

 さて、いよいよザイテングラートの取りつきまでやってきた。誰かがアっオコジョだ!の声で小さな赤ちゃんだろう、あのひょうきんな動きで岩を出たり入ったりしているのが見られた。この「オコジョはイタチ科であり、イタチは一般に胴長短足であるが、オコジョの後ろ足は比較的長く、これによる強力な跳躍力を有している。目から鼻にかけての吻が短く、イタチ科にしては丸顔をしている。耳は丸い。一年に2回換毛をし、夏は背側が茶色で腹側が白い。冬は全身が白になる。尾の先は黒い。また、気性が荒く、ノネズミなどを食べる他、自分の体よりも大きいノウサギやライチョウを捕食することがある。」(ウキペディア参照)

 ザイテングラートから左上には氷河地形のひとつ奥穂の崖錐がどこまで切れ落ちている。「崖錐とは上部の岩場から崩落してきた岩屑が堆積してつくる半円錐状の地形で、上から見ると扇形をしている。カールの中や岩壁の下に発達するが、涸沢カールの岩錐は、このカールじたい日本最大級であることから、わが国でももっとも大規模なものとなっている。」(岩波新書山の自然学参照)

奥穂の崖錐

 そして左への峰々は前穂高岳の123峰、4峰に5~6のコル、さらに7、8峰の北尾根が並んで見事である。そして屏風の耳と頭が並んでいる。こうして岩の稜線を進むと、前穂の北尾根の上には今夏歩いた蝶から常念の姿も目に飛び込んでくるではないか。
 なお、奥穂高岳を中心に前穂高、北穂高に西穂高岳と涸沢岳からなるピークを穂高連峰というが、三角点は前穂、西穂と涸沢岳の三山に埋まっているのみである。

前穂高岳北尾根、奥は蝶槍から蝶ケ岳

 ザイテングラートの短い鉄梯子もトントンと登ってそばに咲くイワギキョウを横目に、草もみじのオンタデ、タカネヨモギ、イワオトギリなどを眺めることは忘れない。そうこうして岩場も飽きるほど歩いて稜線に建つ穂高山荘到着である。
 ここで明日の予報を確認するとなんと雨予報である。やむなく、明日予定の奥穂高岳をアタックとしよう。でもすぐに垂直の梯子が二回だ。それに降りてくる人もどんどんである。待ち時間やら結構な時間をかけてなんとか岩稜に押し上げた。そしてガスってしまった山頂へ進むも、いくらあがいても展望に泣いた。それに風も吹いていないのに気温は0度Cの寒さに追い討ちもかけられた。
 もちろん花などあろうはずはない。この頂に来るたびにどうして、こんな所に我はいるのか?と思うばかりである。でもいつか360度の日本を代表する山岳風景の大展望を楽しめる日の頂に立ちたいと、辞する時には思ってしまうのもまた不思議だ。もちろん槍はおろか涸沢岳に前穂すら見れたことはないのだから・・

 満員の穂高山荘では夜半の雨音と人いきれの部屋内でまんじりともせずに夜を過ごした。翌朝もいくら雨脚を見ながら待機したとしても、小降りにもならない運の悪さよとあきらめ顔で重い腰を、イヤ背の荷がさらに重く、おまけに足まで重く、雨中の下山となってしまった。

 ま、しかしものは思いようだろう、ザイテンの登り時に見た、他のグループの方の血だらけの大事故に遭ってしまった人を連れ、全員の撤退組には気の毒であったが、我がメンバーは事故もなく順調な行程を進めることができたのだからと思い直した。
 降り続く雨の中をパノラマコースの石畳道を行き、お花畑箇所ではミヤマアキノキリンソウ、モミジカラマツの咲く中に、クロウスゴがいっぱい黒紫色の実を下げ、オオヒョウタンボクやウラジロナナカマドの真っ赤な果実を見ながら歩いているとカールの雪渓上に音もなく大きな落石が続いていた。そしてすぐに猿が雪渓を横切っているとの声で振り向くと4〜5匹がゆっくりと落石の心配もせずに歩いていた。
 このように自然界を楽しみながらようやくにして涸沢ヒュッテへ昼頃到着で、またまた時間つぶしに困るほどの状態である。

 雨の山小屋で外にも出ることままならず、狭い小屋内での宴会もそう長くは続かない。しかし、ただ一つありがたかったのは、小屋の方が部屋に強力な火力のストーブをつける配慮をしてくれたことである。このストーブのお蔭で寒い日の長時間を暖かく過ごすことができ、ほんとうにありがたかった。

 最終日もまだ雨は上がらなかった。でも意を決して下山としよう。雨中であっても来た時よりもやはり気楽なものである。両側の樹林帯の果実類をおさらいするかのように楽しみながら歩こう。来る時に気がつかなかったムカゴトラノオ、ヤマホタルブクロ、クロトウヒレン、ヒトツバヨモギ、オヤマリンドウなどの花も目に入った。新村橋あたりではミヤマシキミや比較的珍しく八ケ岳で初めて見た覚えのあるツルツゲの果実にも目が合った。
 そしてようやくにして徳沢園に着くころに雨具を片づけることができ、ホッとしてフッキソウ、マユミなどの実と語りかけるように眺めて河童橋へ歩を進めたのであった。

ツルツゲ フッキソウ マユミ

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