南ア  花の鳳凰三山を歩く  '12.8.17~20

 お花畑が見事な南アルプスのなかにあって、北部の甲斐駒ケ岳と鳳凰三山だけは異質の地質をもっている。その鳳凰三山の花巡りを楽しんできた。まずは南アルプスの地質などの特徴からはいってみよう。それは鳳凰三山と甲斐駒が花崗岩でなりたっているのであるが、その他の山はほとんどが四万十層群と呼ばれている変成岩、堆積岩からできているようだ。

 変成岩は結晶片岩、緑泥片岩、千枚岩などで、堆積岩には砂岩、泥岩、頁岩、粘板岩にチャートなどをいうのだが、なぜか甲斐駒ケ岳と鳳凰三山だけは花崗岩であり、その原因は現在でも判明していないようである。
 これらの岩石は風化して、岩塊から細かい泥までのさまざまな大きい岩屑をつくりだし、それらが移動して混じりあうと、表土が安定して通気性や保水性がよくなるようだ。これらが高山植物の生育には極めて理想的な土地となるようで、南アの場合はこうした土地条件がきわめて広い範囲となっていることが特色といわれている。

 さらに、お花畑がすばらしい原因には、このような地質にあることが大きな要因である以外に、もうひとつは残雪も影響しているらしい。植生の分布には積雪も重要な役割をしめているのだが、高茎草原は森林と競合する立場にあるから、その成立には残雪が森林を成長させない程度に遅くまで残ることが望ましいが、方やあまり遅くまで残ると植物の生長を阻害するため、ある程度早く消えてしまうことも必要であろう。それはなかなか容易ではないが、今の南アではこのバランスがうまく調和しており、見事なお花畑が広がっている好条件となっているとのことである。

 昨今の地球温暖化現象から、この残雪がこれまでより早く消えてしまいかねないが、そうなると南アの植生分布もダケカンバやシラビソ類にとって代わることになってしまうことになろう。そのような将来は想定したくはないのだが・・・。

 もうひとつの特徴は相対的に残雪が遅くまで残りにくいために、アオノツガザクラ、チングルマなどからなる雪田植物群落やイワイチョウ、ハクサンコザクラなどの湿性草原はほとんど見ることができないのも他のアルプスとはことなる植生であろう。

 さて、ついでに地球史についてもふれてみよう。46億年前に地球は誕生し、地球に地殻が生じるまでにおよそ6億年、それ以後現在に至るまでの約40億年を地質時代といわれている。この地質時代は地質学や古生物学などの研究によって、先カンブリア代、古生代、中生代、新生代に大きく分けられ、さらにそれぞれ細分されている。

 新生代といっても6500万年前から現在までをいい、それを第三紀、第四紀に分け、一番新しい第四紀でも更新世と完新世と表現されており、言葉も耳慣れなく、夢のような話に感じざるを得ない。そんななかにあって、高山帯で地球がずっと極寒の頃にできた低地にはない独特な地形が見られるが、その代表的な地形に氷河地形、周氷河地形があるが、これについてもふれてみたい。

 氷河とは、一年中気温が0度を越えない場所では、積もった雪が解ける雪の量よりも多く、積もった雪自らの重さで氷化した雪が斜面をゆっくりと下方に動き出す現象である。地球上の最終氷河期といわれる5~6万年前にできたと思われる氷河地形が各地の高山に残されているが、次のようなものがある。

@ カ〜ル(圏谷)

氷河が流れ下らずに斜面で停止した場合にできる。山腹がスプーンで削り取られたような地形。勾配が緩く底が平らなカール底と、それをとりまく急勾配のカール壁からなる。

千丈ケ岳の藪沢カール

 千丈ケ岳下の藪沢カール

A モレーン(堆石丘)

氷河が終わる地点にできる。大きな岩や砂礫で構成される丘。三日月型か舌状の小丘を作る。


千丈小屋上のモレーン

B 羊背岩

カールの底部にあり、氷河に削られて上面が丸くなり、羊の背中のような形になった巨岩

 続いて周氷河地形は高山の風衝砂礫地で、岩石に浸み込んだ水が凍結した後、膨張作用により岩がさかれる凍結破壊作用、さらに土中の水の凍結と融解により徐々に移動するソリフラクション作用で、長い年月の間にできたものが周氷河地形であるが、それらには次のようなものがある。

@ 構造土

ソリフラクション作用により少しずつ移動する礫や砂が粒の大きさ毎に集まってできた地形で、亀甲土、上線土、階状土、アースハンモックなどがある。

A 岩塊流

凍結破壊作用によりできた岩屑が、霜や氷の力により塊となって少しずつ斜面を下っていく現象。年に3〜10cmずつ移動するといわれている。これらの地形では砂礫の移動が激しいため、高山植物の生育はよくない。

 仙水峠下の岩塊斜面

 はてさて、今回歩いた鳳凰三山で特に珍しい点にもふれてみたい。

 薬師岳、観音岳に地蔵岳の三山は標高こそ3000mに満たないものの、その明るい雰囲気と白い砂を配した、さながら日本庭園のような砂礫地は青空に映えてまぶしいほどの光景を存分に繰り広げてくれていた。なかでも地蔵岳のオベリスクはひときわ異彩を放ち、訪れた人たちには非日常の別世界に感動極まるものが見えた。

 
地蔵岳のオベリスク

 オベリスクとはそもそも古代エジプトで神殿の門前の左右に建てた白い石柱のことをいうのだが、先を空に突き上げるように尖っていて、この地蔵岳は植物のつぼみのような形をした尖った岩峰で、まさにオベリスクそのものであろう。

 この尖った鋭鋒はどうしてできたのだろうか。地質学者によればこの花崗岩がせいぜい1000万年くらい前に生じた新しい岩体だといわれ、この花崗岩は鉱物粒子が非常に大きく、風化しやすいのが特徴で、岩の表面から鉱物の粒子がボロボロ剥げ落ち、岩の表面も風化してボロボロになって、山頂部が平坦化しそこに白い砂礫地が広がるが、これは剥げ落ちた砂礫が堆積したものである。大きな割れ目が入っている花崗岩が割れ目にそって風化しやすく、割れ目の部分が凹み、岩の表面がでこぼこしてくる。このように鳳凰三山一帯で奇妙な地形が出来上がったと考えられている。

 このような花崗岩の中にあって、地蔵のオベリスクの部分は割れ目の間隔が例外的に大きかったために、未風化で新鮮な部分が残り、周囲が風化と浸食によって低下した結果、突出すこととなった。こうした岩峰を地形学の用語で「トア」と呼んでおり、地蔵のオベリスクのほかにも小さなものがたくさん見られるという。

 さて、このオベリスクの先端まで、今ではフイックスロープもあって、わずかな岩の術さえあれば登頂容易となっているのだが、最初に登攀したのは明治37年、なんとあのイギリスの宣教師W・ウエストン卿だった。日本人ではこれに遅れること6年、旧制甲府中学の大島隣三、内藤安城によって成し遂げられた。

 最後に、この山の岩場には、希少植物ホウオウシャジンが固有種としてわずかに生存しているが、今回も二株しか目にしなっかったのである。しかし、華やかなタカネビランジは岩と白砂の稜線にあちこちにピンク色の花弁を広げて歓迎してくれ、少ないホウオウシャジンの寂しさを忘れさせてくれた。


ホウオウシャジン

タカネビランジ

イワインチン
トウヤクリンドウ
 

 
レンゲショウマ

 *文中の説明には「岩波新書の山の自然学」「東海財団の中部の山々」「公益財団法人日本山岳ガイド協会ガイド・マニュアル」などを参照させていただきました。

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